【暮らし】書くことで、自分と仲直りした話

暮らし

ブログを始めたのは、今から約1年半前の2025年4月のことでした。当初は「キャリアとお金の棚卸し」という、ごく個人的な目的で始めたこの場所も、気づけば驚くべきことに、投稿記事数は45にものぼります。自分でも信じられません。あれほどアウトプットが苦手だったはずの僕が、ここまで書き続けられているなんて、まさに奇跡としか言いようがありません。

今日は、なぜ私がこれほどまでにブログを書き続けることができたのか、そしてその過程で得られた、予想だにしなかった「書くことの魔法」と、自分自身との関係性の変化について、詳しくお話ししたいと思います。

そもそも、なぜ書き始めたのか?──「モヤモヤ」が原動力に

ブログを始めるきっかけとなったのは、転職してちょうど1年が経ったタイミングで、ふと心の中に湧き上がった漠然とした「モヤモヤ」でした。

  • 「このままで、本当にいいのだろうか?」
  • 「自分はこれまで、具体的に何をしてきたんだっけ?」
  • 「これから先、何を人生の軸にして生きていこう?」

これらの問いに対する答えを見つけるための「棚卸し」として、書き始めたのが最初でした。まずは、自分にとって最もインパクトのあった「高校中退から大学受験」という、半生をかけた挑戦の物語を書き記してみたのです。すると、思いのほか多くの人に読んでもらえただけでなく、何よりも書き終えた自分自身が、心の底からスッキリと晴れやかな気持ちになりました。

「ああ、自分の過去って、ちゃんと語ってもよかったんだ」 そう思えた瞬間が、私をブログを書き続ける道へと誘う、決定的な一歩となったのです。自己開示への抵抗が薄れ、書くことの喜びを知った瞬間でした。

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書き続けるうちに訪れた、予期せぬ「副産物」

ブログを書く習慣が身についてからというもの、私の中に予期せぬ、しかし非常に価値のある「副産物」が生まれました。それは、「観察力」と「自己理解」の劇的な向上です。

  • 日常がコンテンツに: 何気ない休日の過ごし方や、通勤途中の発見、あるいはふとした瞬間に感じた感情など、これまで見過ごしていたような日常の出来事が、すべてブログ記事の「タネ」になることに気づきました。
  • 思考グセの発見: 自分の「思考グセ」や「感情のパターン」に客観的に気づけるようになったのは、大きな収穫です。なぜ、ある状況で不安を感じるのか、なぜ、特定の情報に惹かれるのか。書くことで、自分の内面を深掘りする習慣がつきました。
  • モヤモヤの言語化: 頭の中に漠然と存在していた「モヤモヤ」の正体が、実際に文章として書き出すことで、初めて明確な言葉となり、理解できるようになることが多々あります。

つまり、ブログという「書く」行為を通じて、自分という人間がどのように機能し、何を感じ、何を考えているのか──まるで「自分という生き物の取扱説明書」が、少しずつ、しかし着実に出来上がっていくような感覚があるのです。これは、日々の生活を送る上での羅針盤となり、自己成長の大きな推進力となっています。

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「誰かに見せるつもりで整理する」という「自己編集能力」の育成

頭の中で漠然と考えているだけでは、思考はぐるぐると堂々巡りし、結局何が言いたいのか、自分でも分からなくなってしまうことがよくあります。しかし、「誰かに読んでもらうつもり」で文章を書くと、驚くほど思考が整理されていきます。

この「誰かの目」を意識するプロセスが、自分自身の「自己編集能力」を育ててくれます。

  • 論理の一貫性: 話が飛んでいないか? 読者が混乱しないか? と自問自答することで、思考の筋道を立てる力が養われます。
  • 言葉の選択: 自分の意図が正確に、そして分かりやすく伝わる言葉を選ぼうとすることで、表現力が向上します。
  • 自己納得の深さ: 書いているうちに「本当にこれで良いのか?」と自問し、自分自身が納得できるまで思考を深めることで、表面的な理解から、より本質的な洞察へと繋がります。

書くという行為を通じて、これまで曖昧に感じていたことが、「そうか、自分はこういうことを思っていたんだ」と明確な言葉になり、確固たる認識へと変わっていく。この感覚は、書く者だけが味わえる特権であり、知的生産性向上に不可欠なプロセスです。

反響があるときの喜びと、ないときの落ち込み──それでも書き続ける理由

正直なところ、ブログを書き続けるというのは、自己満足だけではなかなか難しいものです。時には、自分が書いた文章が誰かの心に届き、「読んだよ」「すごく共感した」「刺さりました」といった温かい言葉や反響をもらいたい、と強く願うことがあります。そのようなフィードバックは、間違いなく次へと書き続けるための大きなモチベーションになります。

しかし、その一方で、反響を期待しすぎると、かえって疲弊してしまうのも事実です。「読まれなかった=自分の文章はダメだった」と、頭では分かっていても、心がなかなか納得してくれない日もあります。

そんな落ち込みを感じたときは、私は自分にこう言い聞かせます。 「これは、未来の自分に向けて書いているんだ

実際、数ヶ月、あるいは数年前に書いた自分の記事を読み返して、「ああ、今の自分にちょうど必要な言葉だったな」「あの時の自分はこんなことを考えていたのか」と、過去の自分がタイムカプセルのように送ってくれたメッセージに励まされることがあります。未来の自分が、現在の自分の言葉に助けられる。そんな循環が、書くことのもう一つの価値なのです。

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文章は、自分の思考の“鏡”になる

書いた文章は、まるで自分自身の思考を映し出す「鏡」のようなものです。どんなに格好つけて書こうとしても、どこかにその人の「地」や「本質」が滲み出てしまうものです。逆に、意図せずして書いた言葉の中に、自分の本当の気持ちや本音が漏れていて、後から読み返して驚くことも少なくありません。

「あれ? こんなこと、自分は気にしてたんだっけ?」 「いつの間にか、こんな風に物事を考えられるようになったのか」

書かれた文章は、過去の自分の「証言」です。そして、その証言を振り返るたびに、現在の自分がどんな人間で、何を感じ、どこに向かっているのかを、鮮明に映し出してくれます。それは、成長の記録であり、変化の軌跡でもあるのです。

おわりに:書くことで、自分と仲直りしているのかもしれない

ブログを通じて、私の中で最も大きく変わったのは、おそらく「自分自身を見る目」かもしれません。

以前の僕は、過去の失敗や弱さにフタをし、それらを見ないようにして生きてきました。しかし、ブログという形で自分の内面をさらけ出し、言葉にすることで、「まあ、そんな時期もあったよね」「あれも、今の自分を作るための大切な経験だった」と、過去の自分を少しずつ許せるようになりました。書くという行為が、自分自身との「仲直り」のプロセスだったのかもしれません。

書くことで、過去の自分を受け入れ、現在の自分を理解し、そして未来の自分に具体的なヒントや励ましを送れるようになりました。これからも、おそらく人生に迷うことはあるでしょうし、また文章を書き、時には書いた記事を消してしまうこともあるかもしれません。でも、それら全てが、「書くことで前に進んでいる」という確かな証だと信じています。

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