人はなぜ、水を飲むのでしょうか。喉が渇いたから? 健康のため? それとも、ただ純粋に、水を飲むこと自体が好きだから? はい、私の場合は、その全てが当てはまります。特に、「好きだから」という理由が、他のどの理由よりも強く、私を水を飲む生活へと駆り立ててきました。今日は、私が水に魅せられ、その「愛」を注ぎ続けることで、最終的に何を得たのか、そしてそのささやかな“副作用”について、ゆるっと語ってみたいと思います。
健康を意識した若者が水にハマるまで
あれはまだ、私が今よりももう少し若く、人生における「健康とは何か」をインターネットで検索しまくりながら、手探りで模索していた頃の話です。当時の私は、健康への漠然とした不安から、流行りの情報に飛びつきやすい傾向がありました。
- 「とりあえず水をたくさん飲めば、体に良いらしい!」
- 「目標は1日2リットル!これでデトックス効果もバッチリだ!」
- 「甘い飲み物を避けて、体を内側から整えるんだ!」
そんな、ちょっとばかり意識が高い(しかし、残念ながら長続きしない)ムーブの中で、私はある一本のミネラルウォーターと運命的な出会いを果たしてしまったのです。
Volvicという名の運命の水との出会い
その水の名は、「Volvic(ボルヴィック)」。最初は、コンビニの棚で何となく手に取っただけでした。特に深い意味もなく、ただ喉が渇いていたから、という理由だったと記憶しています。しかし、一口飲んでみて、私は衝撃を受けました。
「あれ、なんか…うまくない?」
水がうまいって、一体どういうことだろう? そんな自問自答を繰り返しながらも、私の手は自然とVolvicを掴んでいました。気づけば、私の部屋のゴミ箱は、Volvicの象徴とも言える鮮やかな緑色のキャップで埋め尽くされるようになっていました。それは、まさにこの水が私の日常に深く浸透していった証拠です。

「きき水」ができるようになった男、その執念と孤独
Volvicへの愛が深まるにつれて、私はあることに気づきました。「これはただの水じゃない。これは、もはや“趣味”の領域に達している」と。その思いは、私をさらなる探求へと駆り立てました。
コンビニやスーパーで見かける様々な種類のミネラルウォーターを買い漁り、徹底的な「飲み比べ」を敢行したのです。いろはす、南アルプスの天然水、クリスタルガイザー、エビアン…。どれも個性があり、それぞれの魅力がありました。しかし、その中でもVolvicだけは、目を閉じて飲んでも100%正確に当てられるという、ある種の「きき水」能力を身につけてしまいました。
その能力を、研究室の仲間の前で披露してみたこともあります。しかし、残念ながら誰にもウケることはなく、私は一人、満足げに頷きながら、静かに水の味を噛み締めていました。この孤独な趣味が、私の水への愛を一層深めていったのです。
水を飲み続けて、何が変わったのか? 期待と現実の狭間で
これだけ水に愛を注ぎ、毎日欠かさず飲み続けてきた私です。きっと、何か劇的な健康効果があったに違いない! と、皆さんは思うかもしれません。肌がツヤツヤになった? 睡眠の質が劇的に向上した? 代謝が良くなってスリムになった?
が、正直に告白します。あまり、劇的な実感はありません。
肌が綺麗になった…? うーん、なんとなく? よく寝られるようになった…? そうかもしれない? 代謝が良くなった…? 多分ね? といった、何とも歯切れの悪い返事になってしまいます。もちろん、水分補給は健康の基本ですから、きっと何らかの良い効果は確実にあったのだろうとは思います。しかし、期待していたような目に見える変化は、残念ながら乏しかったのです。
ただ一つ、確実に得た“しっとり”という副作用
そんな水飲みライフの中で、唯一、「あっ、水飲んでてよかったな」と心から思える、忘れられない瞬間がありました。
ある日、妻がふと私の手を取り、何気なくこう言ったのです。 「あなたの手、なんだかしっとりしてるね」
その言葉を聞いたとき、私は全身に電流が走ったような感覚を覚えました。これこそが、私が長年水を飲み続けてきた“成果”だったのだと。劇的な変化はなくとも、地道な努力が、こんなにもささやかで、しかし確かな形で現れていたのです。この「しっとり」は、私にとって何よりも価値のある、唯一無二の“副作用”でした。
これからも水とともに:地味でも確かな「自分への投資」
そんなわけで、私は今日も変わらず水を飲んでいます。最近は、愛しのVolvicを以前ほど店頭で見かけなくなってしまい、少し寂しい気持ちもありますが、新たな水との出会いも、それはそれで楽しみにしています。
毎日水を飲んでも、外見や体調に劇的な変化がないかもしれません。だけど、この地味な習慣を飲み続けることには、確かな意味があると私は感じています。「しっとりした手」を、これからも大切に守り続けたい。その小さな願いが、私を水を飲む生活へと駆り立てる原動力となっています。


まとめ:水は愛。そして、その副作用は「しっとり」
水は、実に地味な存在です。派手さはありません。炭酸もなければ、甘い糖分も、特別な風味もありません。しかし、そんな「何もない」水を、毎日コツコツと飲み続けるという行為は、私にとって紛れもなく自分へのささやかな、そして着実な投資なのかもしれません。
そして、その地道な投資の果てに私を待っていたのは——他でもない、あの「しっとり」とした手でした。
これからも私は、水を飲み続けます。水とともに、しっとりと、穏やかに、そして確実に、私の日常を潤し続けてくれることを信じて。

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