昔は、「話が合う人」がいちばん大事だった。
テンポが同じだったり、笑いのツボが近かったり、
好きな映画や趣味で盛り上がれたり。
「話が弾む=相性がいい」と、自然に信じていた。
でも最近、そうじゃない人との関係が、妙に落ち着くことがある。
“うまく話せない日”もあるからこそ
仕事でくたびれてる日、
頭の中がごちゃごちゃしてる日、
言葉を探すのが面倒に感じる夜。
そんなとき、昔なら「人と会うモード」になれなかった。
会話に気を使うのがしんどくて、つい予定を断ったりもした。
でも、“沈黙してても平気な人” が相手だと、話は別だ。
会話がなくても、気まずくない関係
- カフェで一緒に座って、それぞれ本を読んでる
- 散歩しながら、特にしゃべらず風景だけ見てる
- 同じ空間にいて、スマホいじってるだけ
それなのに、妙に安心する。
「何か話さなきゃ」がないって、こんなに気が楽なんだ。
沈黙を“埋めない”関係は、信頼の証でもある
昔は、沈黙が怖かった。
「気まずいと思われてる?」とか「つまらない空気かも」とか、いちいち気になった。
でも今は、「この沈黙も含めて関係性だな」 と思えるようになった。
しゃべらないことで、相手に失礼だとか思わない。
むしろ、何も言わなくても“そばにいてくれる”関係って強い。
盛り上がるより、落ち着けるほうが心地いい
もちろん、笑って盛り上がる時間も好きだ。
でも、ずっとテンションを保つのは疲れる。
“ちゃんと話せてるか”を気にすることなく、
静かに、同じ空気を共有できる人が今はありがたい。
関係は、言葉の数じゃなく、安心感で測るようになった。
おわりに:ゆっくり話せる人より、黙っていられる人と生きたい
この年齢になって、ようやく気づいたことがある。
- 会話が得意じゃなくてもいい
- 共通の趣味がなくてもいい
- でも、沈黙が自然な人とは、長く一緒にいられる
静かな人が好きになったんじゃなくて、静かにいられる自分が好きになったのかもしれない。
これからも、そんな“静かな安心”を大切にしていきたい。

沈黙入門 (幻冬舎文庫)
ケチつけをやめる。天皇陛下のようにスローに話す。正義で相手を論破しない――若き修行僧が説く、軽やかに生きる作法。
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