こんにちは!
今日は、社会人13年目にして僕が転職を決意した、ちょっと重たいけど大切な話をしようと思います。
高校中退から歯車ライフへ
僕の社会人生活は、ある意味順調でした。
高校中退から這い上がり、大学に入り、大企業に就職。
ネットワーク、サーバ、クラウド、セキュリティと社内SEの王道を歩きながら、地道に居場所を作り、資産形成にも成功。
「よくここまで来たな、俺。」
そんな小さな満足感を持ちながら、
心の中では(歯車として生きるのも悪くないかもな)なんて思っていました。
順風満帆?そんなわけなかった
しかし、人生において順調な日々がずっと続くなんて甘い幻想でした。
ある日、僕に転機が訪れます。
それは――新規プロジェクトへのアサイン。
新サービス立ち上げに向け、社内でも前例のないプロジェクトに参加することになったのです。
最初はワクワクしてました。
「これは自分のキャリアにとってもプラスだろう!」って。
しかし、現実は甘くなかった。
- 仕様はふわふわ
- 関係部署の温度差もすごい
- 毎日のようにトラブル対応
- 残業・休日出勤、どんどん増加
「おかしいな、俺、社内SEだったはずなんだけど?」


信じられない悲報
そんな中、頼りにしていた仲間がいました。
彼もまた、この地獄のようなプロジェクトを一緒に支えていた戦友のような存在。
ところがある日、彼が出勤してこない。
「風邪かな?ちょっと心配だな」なんて思っていたら、数時間後、上司が泣きながら会議室に入ってきました。
そこで知らされた事実――
「彼が亡くなった」
頭が真っ白になりました。
会社の中は一瞬静まりかえったけど、数日後にはプロジェクトの打ち合わせが再開。
「遅れをどうリカバリーするか」という重たい議題が進みます。
この時、心のどこかで**「ああ、ここにいたらヤバいな」**というサイレンが鳴り始めたのを覚えています。
適応障害との診断
それから約2ヶ月。
僕はただプロジェクトをこなす機械になりました。
- 思考が止まる
- 笑顔が出ない
- 休みの日も寝て過ごすだけ
ある日、「これは本当にまずい」と思い、勇気を振り絞って会社を早退し、病院へ。
診断結果は――適応障害。
自分を守るという決断
診断を受けた帰り道。
ぼんやりと歩きながら考えました。
- このまま続けたら、きっと僕は壊れる。
- プロジェクトメンバーは?会社は?確かに心配だ。
- でも、一番守らないといけないのは自分だ。
このとき、ようやく腹をくくりました。
「辞めよう。」
勇気がいる決断だったけれど、これが正解だったと今でも思います。
まとめ:歯車にも休息が必要だ
どれだけ「歯車ライフ」を愛していたとしても、
壊れるまで回し続けたら意味がない。
- 自分の命
- 自分の心
- 自分の未来
これらを守るためには、
時には立ち止まり、レールから降りる勇気も必要なんだと、痛感しました。
次回は、僕がどうやって転職活動を始めたかについて、また語ろうと思います。
読んでいただきありがとうございました。


コメント