高校を中退したとき、僕の周囲は進学校の制服だらけだった。
「俺の人生、これもう詰んでない?」と感じるには十分すぎる環境。
コンビニのレジで、元クラスメートと遭遇した日にはもう…レシートより顔が真っ青になった。
大学に入っても、就職しても、ずっと“他人のルート”と自分を比べていた。
「彼は一流企業、俺は…どこ?」
「彼女は年収800万、俺は残業代でギリギリ届くか?」
そんな思考が、心の中で無限スライドしていた。
“勝ち筋”を自分で見つけるという発想
でも、ふと思ったんだ。
比べて落ち込むだけって、コスパ悪くない?
僕はそこで“勝てそうな場所”を選ぶことにした。
勉強が武器になるなら、資格をとろう。
環境を選べるなら、福利厚生が強い会社に行こう。
自分で“勝ち筋”を設計しはじめた。
社内での評価も、外からの評価も、気にならなくなっていった。
「比べてもしょうがない」じゃなく、
「比べなくてもやっていける」感覚が育ってきた。
他人のSNSと、自分のノート
SNSには、他人の“演出された暮らし”が並ぶ。
高級ホテル、年収1000万の収支公開、海外旅行の連発…。
僕も初期は「あ、やべ、全然足りてない」と焦った。
でもある日、「note」を書いてみた。
自分の考えを文字にして整理した瞬間、
“他人に向けていた視線”が、“自分に向かう視線”に変わった。
ブログも始めた。読まれても、読まれなくても、
自分の“納得”が積み上がっていく感覚が心地よかった。

他人は他人、僕は僕──今の心地よさ
今、僕の資産は4000万円。
地元の大手に転職し、地方の3LDKで月家賃2.7万円。
妻はブランド品に無頓着で、外食はスシローで大満足。
たぶん、都心でバリバリ働いてる人から見たら、
「なんか地味だな」と思われるかもしれない。
でも僕にとっては、これが“ちょうどいい”勝ち方なんだ。
おわりに:自分軸を持つと、世界が静かになる
他人の評価から自由になるって、想像以上に静かだ。
耳元で誰かが「それでいいの?」と囁いてこない。
“整える”ことに集中できる。
自分が何を大事にして、何を選ばないかを考える時間が持てる。
そして、こうして静かに築いた日々の中に、
“本当の意味での安心”が眠っている気がする。
だから今日も、
誰とも比べず、淡々と、心地よく。

コメント