SNSを開くと、誰かの「いい暮らし」や「順調なキャリア」が目に飛び込んできます。同年代の同僚が出世したり、友人が新築を建てたという話を聞いたり。たまたま見た投稿に、高級車や海外旅行、洒落たレストランの写真が並んでいたりすると、ふと「自分はこのままで大丈夫なんだろうか?」という思いが胸をよぎります。
正直に言って、僕はまったく気にならないわけじゃありません。 むしろ、心の奥底には、誰かと自分を「比べてしまう自分」が確かに存在しています。そんな時、自分を責めたくなることもあるけれど、最近ようやく、それすらも自然な心の動きとして受け入れられるようになってきました。
「他人と比べても意味がない」
確かにそれは一理あります。けれど、それができる人は、よほど強い人か、あるいは自分の価値観が確立されている人でしょう。僕はまだそこまで達観できていません。むしろ、比べることが“悪”ではないと気づいてから、僕の心は驚くほど軽くなりました。
この記事では、僕がSNSの比較に疲弊しながらも、それでも「比べる心」を手放さない理由と、その比較から見つけた、心の平穏を取り戻すための3つの思考法をお話しします。


1. 比較は「自分の軸」を再確認する羅針盤
人と比べることで、自分の価値観が浮き彫りになる瞬間があります。たとえば、家を買った友人の話を聞いたとき。「自分も買うべきかな」と一瞬考えるけれど、冷静に考えてみると「いや、まだピンと来ない。もっと柔軟に動ける暮らしの方がいい」と再確認できる。これは、他人の価値観をきっかけにして、自分の軸を再認識するということです。
僕にとっての大きな比較対象は、かつての大企業での同僚でした。彼らが順調に昇進し、プロジェクトを成功させていく中、僕はパワハラと激務で心を病み、適応障害になりました。当時は、彼らと自分を比べては「なぜ自分はこんなにもダメなんだ」と、劣等感に苛まれる日々でした。
しかし、その比較があったからこそ、僕の本当の価値観が浮き彫りになりました。 僕は、会社や出世という「他人の物差し」ではなく、「心の平穏」や「自分のペースで生きること」を何よりも大切にしたいのだと気づかされました。
だから、比較すること自体が悪いのではなく、それをどう受け止め、どう自分に返していくかが大切なんだと思うようになりました。比較は、自分自身の「心の羅針盤」を指し示すために必要な、自然な心の動きなのです。
2. 人生は“タイムレース”じゃない。僕には僕の地図がある
人生は、タイムレースではありません。それぞれに「自分の時計」があるはずなのに、僕たちはつい誰かの時間軸と比べてしまいます。
僕には、僕の歩いてきたルートがあります。遠回りも、つまずきも、全部含めて僕の時間。僕は高校を中退し、いわゆる“順風満帆”とは程遠いスタートを切りました。通信制で大学に入り直し、地道に勉強し、資格を取ってようやく大企業へ。しかし、その会社で待っていたのは、パワハラと激務でした。
心が折れかけ、人生の進路に迷い、それでもなんとか立て直して、今は地方の製造系企業で働いています。こうして書くと平穏に見えるかもしれませんが、実際には心が折れかけた日々の連続でした。
でも、そんな中でも「自分のペースで前に進む」ことだけは、やめませんでした。資格を取り、資産を少しずつ積み上げることで、「いつ辞めてもいい」という精神的な余裕をつくったのです。それはまさに、他人の時間軸から抜け出し、“自分の時間”を取り戻す作業でした。
他人の“現在地”と、自分の“地図”は違う。他人がどの地点にいても、それはその人のペースの結果です。自分の地図の上で、どこに向かっているかは、自分にしか分からない。この差を、劣等感に変えてしまうのはもったいない。むしろ「違っていて当然」と認識できたら、それはとても自由な感覚です。

3. 「焦らず、心配せず、動き続ける」という心の盾
僕のモットーのひとつは、「焦らず、心配せず、動き続ける」ことです。これは、僕が経済的自由を目指してきた理由とも深く通じています。
「お金は心の盾」という言葉を信じて、少しずつ資産を積み上げてきました。それは、決して誰かと比べるためのお金ではなく、未来の自分と大切な人を守るための、心の平穏を保つためのものです。
僕が育休中に、ブログを書き、新しいスキルの勉強を続けているのも、「自分の持ち時間」を大切にするためです。華やかではないかもしれない。でも、自分の軸に従って積み上げていることには、確かな充実感があります。
人と比べる気持ちが湧いた時、僕はこう問いかけるようにしています。
「自分は、何を大切にしたいんだっけ?」 「今の自分は、それに近づけているか?」
その問いに、すぐに答えが出なくても構いません。ただ問い続けることで、少しずつ心のブレが小さくなっていきます。
僕はまだまだ迷うし、未熟な人間だと思います。 でも、自分の“持ち時間”を信じ、自分の地図の上を歩いていくことに、誇りを持って生きていきたいと思う。
あなたの歩いている道も、誰かと違っていて当たり前。 その“違い”こそが、人生を豊かにしていくと、僕は信じています。
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