「“足るを知る”って言葉、なんか悟った人が言いそうだな」
昔はそう思っていた。いや、むしろ思いたくなかったのかもしれない。
“足りない”って思ってるからこそ、頑張れてたんだし。
でも、気づけば僕の資産は4000万円を超えていた。
「これって、もしかして……ちょっと足りてる?」
そんな気がしてきたのだ。じわじわと、静かに。
“足りないマインド”が、僕を走らせてた
昔の僕は、とにかく足りなかった。
- 給料、足りない!
- 時間、足りない!
- スキル、足りない!
- ついでに髪のボリュームも、ちょっとだけ足りない!(これは今もか)
そんな「足りない星の住人」だった僕は、せっせと投資して、節約して、自己投資して、
「もっと!もっと!」とギアを踏み続けてきた。
FIREを夢見て、何度かExcelに逃げながら。
4000万円を超えた日、何かが変わった(気がする)
ある日、ふと合計してみたら資産が4000万円を超えていた。
別に派手なことは何もなかった。
花火も上がらなければ、口座が光ることもない。
でも、心の中で「もう、そんなに焦らなくてもいいかもな」と思った。
- 突然の出費にもビビらなくなった
- 老後資金の試算をしなくなった(いや、ちょっとはする)
- そして、なぜか“買い物”が減った
モノを持つことが、“コスト”に見えてきた
資産が増えると、欲しいモノが減る──って不思議だけど、事実だった。
- 高級時計? 時間はスマホが教えてくれる
- 高級車? 軽自動車で十分オーバースペック
- おしゃれ家電? 置く場所がそもそもない
むしろ「買ったあとどう処分しよう…」っていう未来のストレスが見えてくる。
モノを手に入れるより、「持たない」ことで得られる軽さのほうが、今の僕には贅沢に思えるようになった。

“満たされてる感覚”は、静かにやってきた
これは急に来るもんじゃない。
突然“足るを知った!”なんて境地に至ることはない(たぶん)。
でも、日常のふとした瞬間にそれを感じる。
- 安いお茶でも、ベランダで飲めば贅沢だなって思える
- 新しい服がなくても、今ある服で「まあ十分」って思える
- 外食じゃなく、家で作った卵かけごはんが一番うまい
こういう“静かな満足”が増えてきた気がする。
おわりに──“足る”は、知るんじゃなくて、感じるものかも
資産4000万円──数字だけ見れば「成功者」と言われるかもしれない。
でも僕は、何か大きなことを成し遂げたわけでも、悟りを開いたわけでもない。
ただ、「もう、これ以上を求めなくても大丈夫かもしれない」って思える瞬間が増えただけ。
それってつまり、“足るを知る”に近づいたってことなんじゃないか?
焦らず、比べず、走りすぎず。
そんな暮らしの中に、じわじわと“整い”がやってきている。
今日も変わらず、スーパーで特売の豆腐を買いながら、そんなことを思っている。

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