育児休暇に入ってからというもの、僕の時間の使い方も、そして家の中での“居場所”も、劇的に変化しました。以前の僕なら、「集中して作業したいときは、静かな自室にこもって、最高のデスク環境で作業すればいい」と信じて疑いませんでした。しかし、現実はそんなに単純ではありませんでした。特に、幼い子どもとの生活では、予測不能な出来事の連続です。
この変化は、僕がこれまで考えてきた「仕事」や「生産性」、そして「幸福」の定義そのものに、静かな問いを投げかけています。これは、僕の人生観の変化であり、人生のロードマップを書き換えるほどのインパクトがありました。
リビングが“主戦場”になった理由:育児と時間のリアル
育児をしていると、親は文字通り「24時間営業」の状態になります。特に乳幼児期は、「今この瞬間」に子どものそばにいたい、という本能的な欲求が生まれます。泣いているわけではなくても、ふとした寝返りの音、可愛いらしい喃語、指先の小さな動き一つを見逃したくない。そんな気持ちが常に胸にあります。
そうなると、集中できるはずの自室にこもるという選択肢は、いつの間にか僕の頭の中から薄れていきました。子どもの泣き声が聞こえるたびに中断し、結局集中できない……というジレンマに陥るくらいなら、最初から子どものそばで作業する方が精神的に楽だと気づいたのです。
結果として、僕の生活の拠点は完全にリビングへとシフトしました。そこにあるのは、子どものプレイマット、バウンサー、ミルク用のポット、そして読みかけの絵本や散らばったおもちゃ。以前は整然としていた「Mac miniのデスクセットアップ」を誇っていたはずの“立派な”自室には、今やほこりが舞っている始末です。これは、僕が目指していた「ミニマムでハッピー」な環境とは、少し異なる様相を呈していました。

据え置き型Mac miniの限界:動かせないことの不自由さ
僕の自室には、M1チップ搭載のMac miniが鎮座しています。パフォーマンスに関しては、何の不満もありません。起動はサクサク、複数のアプリを立ち上げても快適そのものです。動画編集や画像処理といった重い作業にも十分対応できるパワフルさを持っています。まさに「投資は考えるな、ただ積立」と同じくらい信頼を置ける相棒でした。
でも、それを最大限活用するには、自室という特定の場所に僕自身が「こもる」必要があります。つまり、「その場所に行かなければ何も始まらない」という、シンプルかつ育児においては非常に重い制約があることに気づかされました。
育児の合間にリビングで少し作業しよう、ちょっとしたアイデアをメモしておきたい、ブログの構成を練りたい──そんな「隙間時間」のニーズが圧倒的に増えた今、据え置き型のMac miniは無力でした。子どもが寝ている間にサッと作業を始めたいのに、わざわざ自室に移動して電源を入れ、環境を立ち上げるまでの時間が惜しい。そして、やっと準備ができたと思ったら、子どもが目を覚ましてしまう……そんなことの繰り返しです。
気がつけば、簡単な情報収集やSNSのチェック、ちょっとした文章作成は、手軽に手に取れるiPad Airやスマホで済ませるようになりました。そして、僕の頼れる作業パートナーだったはずのMac miniは、“存在感の薄い家電”に変わっていたのです。これは、僕が「人生の棚卸し」をする中で、改めてツールの「可動域」の重要性に気づかされた瞬間でした。


MacBookという“自由”への憧れ:可動域への投資
そんな中、僕の頭に強く浮かび上がってきたのが、MacBookの存在です。「ノートPCなら、リビングのソファでも、ダイニングテーブルでも、さらには膝の上でも作業できる」という、その圧倒的な「可動域」です。
早朝の静かな時間、子どもが昼寝しているわずかな合間、夜中にミルクを作っている最中のちょっとした10分間──。これまでの据え置きPCでは考えられなかった「机に向かわずとも、できることを増やせる」という自由は、今の育児中心の生活にこれほどまでにフィットするのかと、強く惹かれるようになりました。
M4チップ搭載の最新モデルにするか、M3にするか、それともコストパフォーマンスの良い中古のM1モデルで十分か? 性能的にはM1でも問題ないことは分かっているだけに、非常に悩ましい選択です。しかし、これは単純なPCのスペックへの投資ではありません。僕が求めているのは、最高のパフォーマンスよりも、「可動域」への投資なのです。この「何を選ぶかという問い」は、僕の「より少ないことは、再調整である」というミニマリズム的な考え方とも繋がっています。
MacBookを手に入れることは、単に新しいデバイスを手に入れる以上の意味を持ちます。それは、育児という限られた時間の中で、いかに自分の「自己実現」や「学び」の時間を確保するか、という課題への回答であり、僕の新しいワークスタイルへの挑戦なのです。



リビング仕事の理想と現実:完璧でなくても、今の暮らしに寄り添う
MacBookを導入したとしても、そこにはもちろん理想と現実のギャップもあるだろうと覚悟しています。例えば、ソファに座りながらの作業は姿勢が崩れやすく、身体への負担は避けられないかもしれません。エルゴヒューマンチェアのような快適な椅子で作業する自室とは、やはり違う環境です。
また、子どもが突然キーボードを叩きに来るリスクも高いでしょうし、食べかけのお菓子や飲み物がMacBookに飛んでくる未来も、そう遠くないでしょう。それは、僕がこれまで大切にしてきた「静かな快適さ」とは対極にある光景かもしれません。
でも、それでもいい。 「完璧じゃなくても、今の暮らしに寄り添う働き方」ができるのなら、それは十分な価値があると思えるようになりました。むしろ、完璧を求めすぎて何もできないより、多少のリスクや不便を受け入れてでも、家族のそばで自分の時間も進められる方が、今の僕にとっては大きな幸福なのです。この感覚は、「完璧な子育ては必要ない」という気づきにも繋がっています。


書斎ではなく、家族の中心で働くという選択:デバイスを通じたライフスタイルの変化
自室というのは、かつての僕にとって、自分の世界に没頭できる“理想の空間”でした。静かで集中でき、仕事や自己学習に最適な環境でした。しかし、今の僕にとっての理想は、「家族と同じ空間にいながら、自分のことも進められる」ことです。
Mac miniは、今も立派な相棒であり、そのパフォーマンスには感謝しています。けれど、今の僕には「動かせるパートナー」が必要なのかもしれません。それは単なるスペックの選択ではなく、自分のライフスタイル、特に育休という特別な時間をどう生きるかという、ひとつの大きな選択でもあります。
MacBookの購入は、僕にとって単なるガジェットの買い替えではありません。それは、僕自身の「人生の舵取り」であり、家族との時間を犠牲にすることなく、自分自身の成長や目標達成も諦めない、という決意の表れなのです。どこでも仕事ができるという自由は、僕に「誰と、どんな時間を過ごしたいか」という問いに、静かに、そして明確に答えてくれる。そんな気がしています。
これは、まさに僕が提唱する「会社に悟られず「窓際FIRE」を実現する:ストレスフリーな働き方を手に入れる密かな戦略」とも深く関連しています。会社に縛られず、自分の時間をコントロールするという意味では、リビングでの作業環境の最適化も、その一環と言えるでしょう。


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