「会社って、まるで第二の家、いや、家族のような居場所だ」──そんな風に思っていた時期が、僕にも確かにありました。
大手企業に新卒入社し、ピカピカの名刺をもらって、誇らしげに社章をつけ、同期と名刺交換の練習をする。「この会社で頑張ろう!」なんて、漠然とした決意と希望を胸に抱いていました。しかし、現実は、そんな甘い幻想を打ち砕くほど、いや、めちゃくちゃ苦いものでした。
この記事では、僕が会社への過度な依存から脱却し、自分自身の足で立つために、どのような思考と行動を重ねてきたのかをお話しします。会社に“しがみつく”のではなく、“うまく関わる”という新しい働き方、生き方を見つけるヒントになれば幸いです。
初配属は「胃にくる」現場だった:「会社は家族」という幻想の崩壊
僕の社会人生活は、いきなりハードモードから始まりました。初配属された先は、パワハラ上司が支配する、まさに「胃痛の楽園」。
朝礼で怒号が飛び交い、理不尽な理由で個人攻撃が始まる。褒められることよりも、人格否定に近い怒られ方をされることのほうが圧倒的に多い日々でした。「お前の代わりなんていくらでもいる」「お前がいなくても会社は回る」──そんな言葉が空気のように飛び交う職場で、僕が抱いていた「会社って家族!」という温かい幻想は、音を立ててガラガラと崩れていきました。
会社という組織は、僕たち社員一人ひとりの生活を守ってくれる場所であると同時に、僕らの人生の全てを捧げる場所ではないのだと、この時、痛感させられました。
そして気づいた。「このままじゃ潰れる」:自分に矢印を向けた転換点
朝、目が覚めてもベッドから起き上がれない。休日が来るたびに、心底「助かった」と安堵する。そして、月曜が来るのが心底嫌で、胃が痛む。そんな日々が続きました。
「このまま上司のご機嫌と顔色ばかりを窺い、常に誰かの評価を気にして生き続ける人生って、一体なんなんだ?」 「僕がこの会社にいる意味って、本当にあるんだろうか?」
漠然とした疑問と、この先の人生への絶望感が、僕の心を蝕んでいきました。このままでは、精神的に先に壊れてしまう。そう直感的に悟った時でした。僕が“自分に矢印を向け始めた”のは。
それまでは、常に会社や上司、周囲の期待に応えることばかり考えていました。しかし、この瞬間から、「どうすれば自分がこの状況から抜け出せるか」「どうすれば自分自身を守れるか」という、究極の自己防衛本能が働き始めたのです。



居場所は作っても、しがみつくな:「依存せず、利用する」という賢いスタンス
自分に矢印を向けた僕が最初に取り組んだのは、「もし辞めても食っていける」という心の逃げ道、つまり自分の市場価値を高めることでした。僕はひたすら資格を取り始めました。IT系の資格、語学系の資格、ビジネス系の資格…。最初は「自分の強みを作るため」という意識でしたが、それは同時に、「いざとなったらこの会社以外の場所でも生きていける」という、強力な心の安全弁になっていったのです。
そのおかげで、社内での立ち位置も少しずつできてきました。「あいつは資格をたくさん持っているから、使えない奴ではないな」という評価が、僕の心の負担を軽くしてくれました。
しかし、決して会社に“期待しすぎない”ことを意識しました。「会社が僕を幸せにしてくれる」「会社が僕の人生の全てを決めてくれる」といった過度な期待は持たない。その代わり、「依存しないけど、利用はする」というスタンスを意識するようになりました。会社から得られる給与や経験、福利厚生といったメリットは最大限に享受しつつ、それらに自分の人生の主導権を握らせない。この絶妙な距離感が、僕のメンタルを守る鍵となりました。


「期待しない」は諦めじゃない:心を折らないための自己防衛策
よく「会社に期待しないってことは、仕事に対して希望を持たないってこと?」と聞かれることがあります。しかし、それは全く違います。希望を持たないのではなく、心を折らないための自己防衛策なのです。
過度な期待をしてしまうと、それが裏切られたときの落差で、心が深く傷つき、立ち直るのが一番きつい。むしろ、最初から過度な期待をしないほうが、心のダメージは最小限に抑えられます。そう割り切ってから、不思議と仕事への向き合い方が楽になりました。肩の力が抜けて、むしろ冷静に業務をこなせるようになったのです。それは、「幸せの軸を会社に置かない」という生き方にも繋がっています。

僕の安心は、社内じゃなくて社外にある:自分の「軸」で立つ感覚
資格、スキル、そしてコツコツと築き上げてきた資産形成…。これらは全て、「会社に依存しない」ために僕が始めたことでした。これらの積み重ねが、僕に「自分の軸で立っている」という確かな感覚を与えてくれました。
以前なら、上司に「ちょっと話があるんだけど」と呼ばれただけで、心臓がバクバクして冷や汗をかいていました。しかし、今の僕には、まるで鎧を着ているかのような安心感があります。そんな時でも、心拍数が安定している自分がいることに気づきます。それは、自分の価値が会社の評価やポジションに左右されないという自信があるからでしょう。
会社の中での地位や評価に一喜一憂することなく、自分の「外堀」を埋めていくことで、会社という組織は、僕の人生の一部でありながら、決して全てではない、という認識が明確になりました。


会社を辞める必要はない。でも…:戦略的「残留」という選択
僕は今も大企業の一員です。安定した給与はありがたいし、福利厚生も悪くありません。しかし、だからといって「ここが人生の全て」だとは微塵も思っていません。
僕は、「いつでも辞めても大丈夫」な状態を常に保ちつつ、でもあえて会社に居続けるという選択をしています。これは、会社のためでも、誰かから評価されたいためでもありません。すべては、自分の人生の主導権を握り、自分の望む生き方を追求するための戦略的な選択なのです。会社員として安定した収入を得ながら、自分の時間やスキルを使い、会社に依存しない基盤を築く。このハイブリッドな生き方が、今の僕には最適なバランスだと感じています。
最後に:依存せずに“関わる”という生き方──「歯車」は回すけど「主導権」は渡さない
会社に自分の人生を全力投球して、自分自身をすり減らし、燃え尽きてしまうのは本当にもったいないことです。僕らの人生の主導権は、常に自分自身にあるべきです。
会社と自分の間に、心地よい「ちょうどいい距離感」を持つこと。そして、会社を「必要なら使う」「でも決して縛られない」というスタンスこそが、僕には最も合っていました。
だから今日も僕は、会社のデスクに座りつつ、心の中は自由に過ごしています。“歯車”は喜んで回すけれど、“人生の主導権”だけは絶対に会社に渡さない。
それが、僕なりの会社との、そして人生との、賢い付き合い方なのです。

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