「このまま、どこにも行けないんじゃないか」 「もう、元の場所には戻れないんじゃないか」
──高校を中退したあの頃。 ──適応障害で休職し、退職を考えていたあの頃。
そんな底なしの不安と、僕はまるで影のようにずっと一緒に暮らしてきました。人生の「正規ルート」から外れてしまったと感じる時、この「不安」という名のモヤモヤとした感情は、まるで手強いラスボスのように私たちの行く手を阻みます。しかし、僕はこのモヤモヤ君との付き合い方を見つけることで、遠回りに見えても、確実に前へ進めるようになりました。
この記事では、僕がどのようにして「不安の化身」であるモヤモヤ君と向き合い、その主張をかわしながら、自分らしい道を切り拓いてきたのかを、実体験を交えながらお話ししたいと思います。
不安という名のモヤモヤ君、爆誕:レールを外れた僕の前に現れた影
人生には、まるで誰かが敷いたかのような「正規ルート」なるものが存在すると言われていますよね。進学校に進み、有名大学を卒業し、大企業に就職して、安定した老後を迎える──。多くの人が目指し、そして社会が「正しい」と見なす、そんな一本道です。
しかし僕は、高校中退という、人生のわりと序盤でこのルートから大きくドロップアウトしてしまいました。例えるなら、完全に一本道のRPGで、まだ「村を出る前」にセーブデータが消えてしまったような、そんな絶望的な状態でした。
そんなときに、僕の心の隙間に入り込んできたのが、不安の化身。その名を「モヤモヤ君」と呼びます。
モヤモヤ君は、僕の心の奥底から、あらゆるネガティブな言葉を囁いてきました。
- 「おい、君。レール外れてるぞ?もう手遅れなんじゃないか?」
- 「まわりのみんなに、もう追いつけないぞ?」
- 「親は、君のせいで泣いているぞ?」
…言いたい放題です。まるで、僕の心の中の悪魔が、僕を責め立てているようでした。このモヤモヤ君の存在は、僕を常に不安にさせ、行動することを躊躇させました。

そこで僕がとった作戦:モヤモヤ君の「優先度」を下げろ!
モヤモヤ君と真正面から衝突しても、基本的には勝てません。というか、勝ち筋が全く見えないんです。将棋で例えるなら、もう5手で詰まされてるような絶望的な状況でした。
だから僕は、戦略を変えました。モヤモヤ君を完全に無視するのではなく、こう決めたのです。
「モヤモヤ君、今はちょっと後回しね。」
これは、モヤモヤ君を「無視」するのとは少し違います。無視しようとすると、かえってその存在が大きくなってしまうからです。そうではなく、「優先度を下げる」という作戦です。自分の思考リソースを、モヤモヤ君との戦いに全振りするのではなく、目の前の具体的な行動に全集中することにしたのです。
- 高校中退のとき → 「将来どうなるか」という漠然とした不安よりも、まずは「高認試験に合格する」という目の前の目標に全集中しました。
- 適応障害で休職したとき → 「この先どうなるんだろう」と悩むよりも、まずは「転職活動」と「引っ越しの準備」という具体的なタスクに集中しました。
「将来どうなるか」という遠い未来の不安ではなく、「目の前の3ヶ月で何ができるか」という、手の届く範囲の目標に焦点を当てる。この小さな行動の積み重ねが、僕をモヤモヤ君の呪縛から解放してくれました。

それでも、やつは来る。ふとした瞬間に忍び寄るモヤモヤ君
しかし、モヤモヤ君は非常にしつこいんです。完全に駆逐するのは、正直言って無理ゲーです(ラスボスよりもHPが高い説すらあります)。
コーヒーを淹れてくつろいでいるとき。通勤電車でぼーっとしているとき。風呂で音程を外しながら熱唱しているとき(誰も聞いていないはずなのに)。そんなふとした瞬間に、「スッ……」と音もなく忍び寄ってくるのが、モヤモヤ君です。
でも、そんなときは、慌てずにこう心の中でツッコミます。
「お、来たな。今日も元気か。とりあえずそこ座れや。」
そして、自分を俯瞰するように心がけます。「今、不安を感じているな」「モヤモヤ君が来てるな」と、その感情を認識するだけでも、少し距離をとることができます。感情に飲み込まれるのではなく、第三者の視点で「眺める」ことで、その影響力を弱めることができるのです。

悩むな、とは言わない。けど、一人で抱えるな:モヤモヤ君を「棚卸し」する
モヤモヤ君を完全に消し去ることはできない。だからこそ、一人で抱え込まないことが非常に重要です。僕も、正直何ヶ月も一人で落ち込み、出口の見えないトンネルの中にいるような時期がありました。
しかし、そのモヤモヤを「人に話す」「言葉にする」「文字にする」という行動を通じて、少しずつ整理していくことで、だんだんとその輪郭が見えてきました。漠然とした不安が、具体的な課題へと姿を変えていくのです。
これは、単に問題を「棚上げ」して放置するのとは違います。むしろ、自分の心の中にある「人生のデータベース」を「棚卸し」する作業に近い感覚です。モヤモヤ君は「無視される」と、まるで拗ねた子供のようにさらに強くなりますが、「棚卸し」されてその正体を暴かれると、途端に隅っこでシュンとしている、そんな印象です。


おわりに:遠回りに見えて、ちゃんと進んでる。
レールを外れると、「自分はもう終わった」「人生が詰んだ」と思いがちです。しかし、レールがないからこそ、私たちは自分で自由に道を作れるとも言えるのです。
高校を中退した僕も、適応障害で転職を余儀なくされた僕も、あの困難な時期を乗り切った方法は、ただ一つでした。それは、「今はただ、目の前のことに集中する」こと。そして、その小さな行動の積み重ねが、いつの間にか自分だけの道を切り拓いていたのです。

だから、もし今、あなたの心の中にもモヤモヤ君がいるなら、まずは「お、来たな」と笑ってやってください。そして、そのモヤモヤを抱えながらも、今日やるべきことに、そっと戻ってみましょう。
遠回りに見えても、あなたはちゃんと進んでいます。あなたのペースで、あなただけの道を。

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