世の中には「幸せのテンプレート」みたいなものがある。
たとえば、
・いい大学 → 大企業 → 結婚 → マイホーム → 子育て
・キラキラSNS投稿 → スタバ → サウナ → チル
どれも素敵だけど、ふと疑問が湧く。
「それって、本当に自分の幸せなの?」
他人の幸せは、あくまで「参考資料」
僕が高校を中退したとき、まわりは心配して言った。
「高卒じゃ将来困るよ」
「正社員じゃなきゃダメだよ」
「結婚して子ども産まないと人生終わりだよ(なぜ終わり?)」
でも、今思う。
その言葉は悪意じゃなく、その人にとっての“幸せテンプレ”だっただけなんだ。
例えるなら、カレー好きの人が「ラーメンで満たされるわけないじゃん!」って言ってるようなもので。
ステージによって幸せの形は変わる
20代は、資格をとりまくって会社での立ち位置を作った。
30代前半は、資産形成に全振りした。
でも38歳になった今、ふと思う。
「あれ、別にこれ以上給料上がらなくても、今けっこう幸せじゃない?」
・在宅勤務で、朝日を浴びながら散歩できる
・お気に入りの靴を毎日履ける
・カフェ代を「投資」と呼んでも怒られない(怒られたこともないけど)
幸せは、「定義」じゃなく「実感」だった
幸せって、数字で測るもの だと思ってた。
年収、資産、フォロワー数、資格の数…
でも、本当はもっと肌感覚のものだった。
・朝、ちゃんとご飯が美味しい
・週末にやりたいことがある
・「誰かの人生」じゃなく、「自分の暮らし」がちゃんと回ってる
この「なんとなくの満足感」って、地味だけど最強だと思う。
幸せ探しは、「誰か」じゃなく「今の自分」に聞く旅
昔は、「人並みに」が正解だと思ってた。
でも今は、「人並み」より 「自分並み」 のほうがしっくりくる。
いま自分が欲しいのは
他人のすごい話でも、他人の羨ましい生活でもなく、
今日一日がちょっと心地よくなるような工夫。
つまり、
“自分に合った幸せ”とは、世間じゃなくて、自分の感覚をちゃんと信じること。
たまに迷うけど、少しずつでいい。
自分の心地よさに耳を澄ませて、暮らしを整えていけたら、それで十分。
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