育児休業に入ってからというもの、僕の日常は以前とは比べ物にならないほど穏やかな時間になりました。朝は愛おしい赤ちゃんの泣き声で目覚め、洗濯物を干し、近所を散歩し、赤ちゃんが昼寝をする間に家事をこなす。夕方には離乳食を用意し、お風呂に入れ、寝かしつける。そのすべてが、小さな命を育む上で意味のある、かけがえのない時間だと感じています。
なのに──ふと、心の奥底で、こんな問いが浮かび上がることがありました。
「あれ、最近“頑張ってない”かも……?」
この「頑張ってない感」の正体は何だろう。一体、何が僕をそう思わせるのだろうか。
昔の僕の「頑張る」は“消耗戦”だった
会社員としてフルコミットしていた頃の僕は、「忙しいこと=価値があること」と、どこか思い込んでいたフシがあります。分刻みでスケジュールが詰まった会議、スマートフォンの通知が鳴りやまないSlack、常に納期に追われ、疲弊して寝落ちする日々。まるで“消耗戦”のような労働の中で、僕は達成感と、自分自身の存在意義、すなわち自尊心を乗せていました。それはまるで、仕事という名のジェットコースターに乗って、そのスピードとスリルに酔いしれていたような感覚です。
それが今はどうでしょう?
「おむつ替えの速さ、自己ベスト更新!」とか、「バナナ1本で15分も時間稼げた自分、すごい!」といった、会社では全く評価されないような、スケールが小さすぎる「成功体験」ばかり。あまりのギャップに、思わず笑ってしまうこともあります。しかし同時に、「これって、“頑張り”って言えるのかな」という、なんとも言えないモヤモヤに包まれる日もありました。


「頑張ってない感」を生む二つの犯人:世間の空気と僕自身の「思考のクセ」
おそらく、この漠然とした不安の一部は、僕を取り巻く「世間の空気」から来ているのだと思います。「男が育休なんて、遊んでるんでしょ?」「仕事してないと、キャリアの成長止まるよ?」──直接的に誰かに言われたわけではなくても、なんとなく感じ取ってしまう周囲の目線。社会全体に根強く残る「男は仕事」という無意識のプレッシャーが、少なからず影響しているのでしょう。
そして、もう一人の犯人は、他でもない「自分自身」です。長年、「成果主義」の土俵で働いてきた僕には、ある種の「思考のクセ」が染みついてしまっています。
- “見えづらい頑張り”を評価できない。
- 人から褒められないと意味がない。
- 誰かの役に立っていないと、自分の存在価値がない。
そんな凝り固まった思考のクセが、ふとした瞬間に顔を出し、「今の自分は頑張っていない」というネガティブな感情を呼び起こしてしまうのです。これは、僕が会社員として培ってきた「自己責任という名の人生のエンジン」が、育児という新しいステージでうまくアイドリングしない状態に似ていました。
でも、本当に頑張ってないわけじゃない
冷静になって、改めて自分の日常を振り返ってみました。
- 夜中3時間おきに起こされる生活。
- 寝返りを打った赤ちゃんが机の角に頭をぶつけないよう、常に神経を張り巡らせる生活。
- 「これは口に入れても大丈夫?」「アレルギーは?」と一日中考えながら暮らす生活。
- 離乳食を床にこぼされ、片付けに追われる毎日。
これ、どう考えても、十分すぎるほど“頑張ってる”よね?
ただ、それが、会社員としてプロジェクトを成功させたり、売上目標を達成したりするような、“会社員としての頑張り”じゃない。KPIや明確な数値目標があるわけではない、「名もなき頑張り」であるだけなのです。
「頑張り」の定義が変わってきた:大事なものに向き合うこと
最近、ようやくこの「頑張ってない感」の呪縛から解放されつつあることに気づきました。僕にとっての“頑張る”は、もう「誰かにすごいと思われること」や「数字として成果を出すこと」だけではない。
それは、「自分が本当に大事にしたいものに、ちゃんと向き合うこと」なんじゃないかと。
その対象が、今の僕にとっては「子どもと家族」なのです。この数ヶ月で僕が身につけたスキルは、会社ではほとんど役に立たないかもしれません。おむつ交換のプロになっても、離乳食作りの達人になっても、評価シートに書く項目はありません。しかし、それらのスキルは、間違いなく僕の人生にとって、めちゃくちゃ大事な土台になっている気がしています。
育休中に見つけたこの「サラリーマン」という心地よい距離感や、「窓際FIRE」というストレスフリーな働き方の思想も、この「頑張り」の定義の変化から生まれたものです。



焦らず、今の時間に意味を見出す
「頑張ってない」と感じるとき、本当は“過去の自分”や“隣の芝生”、あるいは“SNSのキラキラした情報”と比較してしまってるだけなのかもしれません。
でも、今の僕が見ている景色は、それとはちょっと違うところにある。それは、目の前の小さな命と向き合い、家族との絆を深め、日々のささやかな喜びを感じるという、かけがえのない時間です。
焦らなくていい。今の時間にも、意味はちゃんとある。そしてその意味は、いつか“僕自身の言葉”として、誰かに届く日が来るかもしれない。
とりあえず今日は、夜中の寝かしつけ中に自分が寝落ちしなかったこと、そして今日も無事に家族と笑顔で過ごせた自分を、そっとほめてやろうと思う。
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