「失敗した」「やらかした」「詰んだ」――
そんな言葉たちに、僕の人生はけっこう彩られている。
でも、最近ふと思う。
これまでの考え方や文章って、むしろ“あの失敗たち”があったからこそ書けているんじゃないか?と。
失敗から逃げなかったというより、“馴染んできた”
僕は高校を中退しているし、
社会人になってからも、適応障害で会社を辞めたことがある。
- 「もう取り返しがつかない」
- 「普通の人生に戻れない」
- 「詰んだかもしれん」
そう思ったこと、何度もある。
でも今は、その経験を自分の言葉で書けるようになっている。
つまり、失敗に潰されたんじゃなくて、
失敗に“居場所”をもらった感覚かもしれない。

仮面をかぶるようになったのも、失敗のおかげ(?)
前回の記事で「仮面をかぶる」って話を書いた。
- “仕事できる人”の仮面をかぶる
- “努力できる人”の仮面をかぶる
これ、何のきっかけもない人には生まれない発想だと思う。
失敗したからこそ、「どうすれば自分を守れるか」を必死で考えた。
うまくいってるときには出てこない、「工夫」や「ズラし」の知恵が、
失敗の中で育っていた気がする。
“失敗の解釈力”が上がると、メンタルが安定する
失敗を失敗のまま終わらせると、ただのダメージ。
でも、失敗を “再解釈”できるようになると、武器になる。
- 「あのときの落ち込みがあったから、今このペースで働ける」
- 「あの挫折があったから、余計な期待をしないようになった」
- 「あのやらかしがあったから、慎重に判断できるようになった」
これ全部、**“あのときは嫌だったけど、今はありがたい”**と思える失敗たち。
ブログを書くことが、失敗を“仕訳け”する行為になっていた
これまで書いてきた記事の多くが、
何かにぶつかった経験を振り返って、自分の言葉で整理するものだった。
つまり、書く=過去の自分との和解だったのかもしれない。
失敗にラベルを貼り直す。
「これはムダじゃなかったよ」と記録する。
そうして初めて、失敗が“資産”に変わっていった。
失敗しない人に憧れた時期もあったけど…
- スマートに生きている人
- 一発で受かる人
- 転職も恋愛もスムーズな人
正直、うらやましかった。
でも、そういう人は「何を書いていいか分からない」って悩んでたりもする。
僕は、たしかにたくさんこぼしたし、転んだ。
でもその分、語れるもの、にじむもの、伝わるものができた。
おわりに:失敗は、未来の自分からの投資かもしれない
失敗って、その瞬間は最悪だけど、
あとから 「この人、味あるなあ」って思ってもらえる要素 になったりする。
そして何より、自分自身がその失敗を笑えるようになったとき、
それは“自分の一部”として仲間になってくれる。
今日もまた、ちょっとした失敗をしながら、
「あーあ、でもこれいつか記事にできるかもな」なんて思っている。
それってたぶん、ちょっと強くなってる証拠かもしれない。

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