【キャリア】失敗は損失じゃなく、資産だった――挫折が僕を支えている話

キャリア

「失敗した」「やらかした」「詰んだ」――
そんな言葉たちに、僕の人生はけっこう彩られている。

でも、最近ふと思う。
これまでの考え方や文章って、むしろ“あの失敗たち”があったからこそ書けているんじゃないか?と。


失敗から逃げなかったというより、“馴染んできた”

僕は高校を中退しているし、
社会人になってからも、適応障害で会社を辞めたことがある。

  • 「もう取り返しがつかない」
  • 「普通の人生に戻れない」
  • 「詰んだかもしれん」

そう思ったこと、何度もある。

でも今は、その経験を自分の言葉で書けるようになっている。

つまり、失敗に潰されたんじゃなくて、
失敗に“居場所”をもらった感覚かもしれない。

失敗の科学
なぜ10人に1人が医療ミスの実態は改善されないのか ?なぜ墜落したパイロットは警告を無視したのか ?なぜ検察はDNA鑑定で無実でも有罪と言い張るのか ?オックスフォード大を首席で卒業した異才のジャーナリストが、医療業界、航空業界、グローバル...

仮面をかぶるようになったのも、失敗のおかげ(?)

前回の記事で「仮面をかぶる」って話を書いた。

  • “仕事できる人”の仮面をかぶる
  • “努力できる人”の仮面をかぶる

これ、何のきっかけもない人には生まれない発想だと思う。

失敗したからこそ、「どうすれば自分を守れるか」を必死で考えた。

うまくいってるときには出てこない、「工夫」や「ズラし」の知恵が、
失敗の中で育っていた気がする。


“失敗の解釈力”が上がると、メンタルが安定する

失敗を失敗のまま終わらせると、ただのダメージ。

でも、失敗を “再解釈”できるようになると、武器になる。

  • 「あのときの落ち込みがあったから、今このペースで働ける」
  • 「あの挫折があったから、余計な期待をしないようになった」
  • 「あのやらかしがあったから、慎重に判断できるようになった」

これ全部、**“あのときは嫌だったけど、今はありがたい”**と思える失敗たち。


ブログを書くことが、失敗を“仕訳け”する行為になっていた

これまで書いてきた記事の多くが、

何かにぶつかった経験を振り返って、自分の言葉で整理するものだった。

つまり、書く=過去の自分との和解だったのかもしれない。

失敗にラベルを貼り直す。
「これはムダじゃなかったよ」と記録する。
そうして初めて、失敗が“資産”に変わっていった。


失敗しない人に憧れた時期もあったけど…

  • スマートに生きている人
  • 一発で受かる人
  • 転職も恋愛もスムーズな人

正直、うらやましかった。
でも、そういう人は「何を書いていいか分からない」って悩んでたりもする。

僕は、たしかにたくさんこぼしたし、転んだ。
でもその分、語れるもの、にじむもの、伝わるものができた。


おわりに:失敗は、未来の自分からの投資かもしれない

失敗って、その瞬間は最悪だけど、
あとから 「この人、味あるなあ」って思ってもらえる要素 になったりする。

そして何より、自分自身がその失敗を笑えるようになったとき、
それは“自分の一部”として仲間になってくれる。

今日もまた、ちょっとした失敗をしながら、
「あーあ、でもこれいつか記事にできるかもな」なんて思っている。

それってたぶん、ちょっと強くなってる証拠かもしれない。

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