あの人なら、わかってくれると思ってたんだけどな…
それ、99%裏切られるやつです。
「察してくれ症候群」の末路
人間関係で疲れる原因の半分くらい、
「勝手に期待して」「勝手にがっかりする」 からじゃないか説。
職場で何度も経験しました。
頼んでないのに手伝ってくれるのを期待したり、
何も言ってないのに気持ちを察してくれるのを待ってたり。
で、期待通りにいかないと、「なんで?」とイライラ。
いや、頼んでないのに察しろって、エスパーじゃないんだから。
“自分ならこうする”は、他人には通用しない
「いや、普通こうするでしょ?」
って思ったこと、何回あります?
僕はもう数え切れないほどあります。
でも最近ようやく気づきました。
普通なんて、存在しない。
それぞれの“常識”は、それぞれの人生の産物。
上司が話を聞いてくれない
→ 「自分なら聞くのに」
同僚が報連相してくれない
→ 「自分ならするのに」
って思っても、
それは “自分が優秀なだけ”か、“自分も気づいてないだけ” か、どっちかです。
期待しないことで、人間関係がスムーズになる不思議
不思議なことに、
期待しないと、イライラしない。
「やってくれたらラッキー」くらいに思ってると、
小さな親切にも、ちゃんと感動できます。
逆に、「やってくれて当然」だと、
やらなかった瞬間に腹が立つ。
人に優しくなるって、
もしかすると “期待値を下げる”ことなのかもしれません。
僕が実践している“距離感ルール”
最近は、人と接するときにこんな感じのルールで動いています。
- 「察してくれ」は禁句。言いたいことは言葉にする
- アドバイスは求められたときだけ(黙って聞くのも愛)
- 返報性は期待しない(与えっぱなしでもOK)
すると、人間関係のストレスが激減しました。
「あの人、ちょっと冷たいな」くらいで済むんですよ。最高か。
感謝が増える副産物
一番の副産物は、感謝の量が増えたこと。
以前は「なんでしてくれないの?」と思っていたのに、
今は「うわ、してくれた!ありがとう!」ってなる。
期待しないって、損してるようで実は“幸福感の貯金”。
おわりに:他人に期待しないという、最強の余裕
期待を手放すと、世界がちょっと優しく見えてくる。
人間関係の摩擦が減るし、心の中に余白が生まれる。
何より、
「分かってもらえたら奇跡」くらいに思ってると、
その奇跡が起きたとき、ちゃんと感動できる。
それが、大人の処世術──なのかもしれません。
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