人は追い詰められると、いろんなセンサーが鈍る。
怒られても、笑われても、反応ができなくなる。
感情のシャッターが下りたみたいに。
僕もそんな時期があった。
高校を中退したとき。
適応障害で休職したとき。
自分が「透明な存在」になったような感覚。
でも、ふと 「笑えるようになった瞬間」 があった。
それが、立ち直りのサインだった。
不幸なのに笑ってるやつ、最強説。
会社で大失敗をやらかしたある日。
上司からの雷を浴びながら、ふと思った。
「これ、マンガだったら今、頭から湯気出てるやつやな」
…って思った瞬間、笑いそうになった。
いや、笑っちゃダメな場面なんだけど。
でも、そのとき 「あ、まだ自分、大丈夫だわ」 って思えた。
笑いは心のバロメーター
- 同じ出来事でも、笑えるときと、笑えないときがある。
- 同じ冗談でも、イラッとするときと、素直に笑えるときがある。
これって、出来事の問題じゃなくて、自分の余裕の問題なんだと思う。

中退して、家に引きこもってたあの頃。
母親が軽いノリで「毎日夏休みでいいな〜」って言ったことがある。
今なら笑える。でも当時は、
「あ、いま俺の全存在バカにされたな」 とガチで思った。
心の余裕ゼロ。
0どころか、マイナスでしたね。
笑いを取り戻す=自分を取り戻す
適応障害で休んでた頃、
散歩中に見かけた犬が、なぜかフリスビーを口にくわえて電柱に頭ぶつけた。
それを見て、ひさしぶりに声出して笑った。
自分でもビックリした。
「あれ、今、俺笑った?」
― それが、ほんの少しの回復の兆しだった。
笑いって、“無意識”から出るポジティブのサインなんだなと気づいた。
笑えないときこそ、「笑える日がまた来る」と思ってみる
僕は今でも、「あ、今ちょっと笑えないな」と思う瞬間がある。
でも、それって**“笑う余白”がないだけ**だと知っている。
- 仕事で詰まってるとき
- 不安で頭がぐるぐるしてるとき
- モヤモヤ君が全力で襲来してるとき
そんなときは、笑うのを無理に目指さない。
ただ、「笑える日もある」と思うだけでいい。
自分で自分を笑えるようになったとき、人生はちょっとだけ軽くなる。
過去の自分を「なんやそれw」って思えるとき、
その経験はもう“痛み”じゃなくて“エピソード”になっている。
- 中退したあの頃
- 面接で名前を噛んだあの日
- 転職初日に内線電話を転送できなかった週
全部ネタにできたら、人生だいぶ得してると思う。
おわりに:「幸せだから笑う」のではなく、「笑うから幸せ」になれることもある。
無理して笑う必要はない。
でも、「いま自分は笑えるか?」と問いかけてみると、
自分の“心の残量”が見えてくる。
そして、たとえ何かが変わらなくても、
ちょっと笑ってみることで、世界の見え方が1ミリ変わることがある。
これはウィリアム・ジェームズの言葉を借りるなら、
「人は幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せなのだ」
…ってことなのかもしれない。
今日笑えたなら、それはラッキー。
笑えなかったら、今はちょっと充電中ってこと。
どっちでもいい。でも、自分を見つめる目だけは、やわらかく持っておきたい。

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