【暮らし】他人と比べないって、難しすぎる問題

暮らし

「自分は自分、人は人」なんて言うけれど、それができたら苦労しない。

気づけば、今日もスマホ片手に誰かの“リア充ライフ”を指でスクロールしては、自分の人生のピントがズレていく。
いや、僕だってそこそこ幸せなんだ。大企業サラリーマンとして安定してるし、在宅勤務もあるし、資産だって人並み以上に貯まってきた。
でも、どうしてだろう。あのフリーランス風情の“自由な暮らし”が、やけにまぶしく見えるのは。


きっかけは、インスタのコーヒー

朝のコーヒーを淹れながら、なんとなく開いたインスタグラム。
「#ノマドワーカーの朝」なんてタグ付きで、木漏れ日のカフェでMacを開いてる誰かの写真。

いや、君、それ仕事してないやろ。

心の中でツッコミを入れながらも、うっすら感じるこの劣等感の正体。
毎日、予定に追われながら社内チャットで「本件、先方から回答ありました」とか言ってる自分の姿が、急に白黒に見えてくる。


比べたら、終わり?

人生には「比較」という落とし穴がある。

・A君:ベンチャー起業して年商1億、青山のタワマン住まい
・Bさん:公務員として堅実に暮らし、休日は畑仕事とパン作り
・自分:会社にぶら下がりつつ、休日にメルカリでガジェット整理

どれが勝ち組で、どれが負け組か。そんな軸自体がナンセンスだと分かっていても、SNSは容赦なく“他人の人生のハイライト”だけを見せつけてくる。


会社員としての「じぶん軸」

とはいえ、僕は僕でやってきた。

パワハラ上司に潰されかけながらも資格を取り、部署内での立ち位置を確保。
資産形成も地道に続け、ようやく金融資本にギアチェンジしているところ。

それなりにやってる。
でも、やっぱり人間って、“隣の芝”が気になる生き物なのだ。


SNSは「比較製造マシン」

SNSは便利だけど、同時に危険でもある。

・フォロワー数の差に落ち込む
・リプライの温度感に一喜一憂する
・知り合いの昇進報告に動揺する

たいてい、自分を見失うのは「タイムラインを眺めている時」だったりする。
「比較しない」とは、自分軸で生きるということ。でも、その自分軸すらSNSに侵食される時代だ。


それでも、目の前の暮らしを整える

だからこそ、僕は「今の暮らし」に目を向けたい。

・お気に入りの椅子でコーヒーを飲む
・朝日を浴びながら散歩に出かける
・noteに思考を綴る

人と比べないって難しい。でも、自分の暮らしに目を向けたとき、「ああ、これで十分じゃないか」と思える瞬間が、たまにある。
その“たまに”を、少しずつ増やしていければ、それでいいのかもしれない。


まとめ:「他人と比べない」って、スキルです

「他人と比べない」って、意志じゃなくてスキルなんだと思う。

何度も揺れながら、そのたびに自分の軸を再確認していく。
大企業の中で働き続けることだって、立派な人生の選択肢だ。自由な暮らしを選ぶ人を羨ましく思っても、それは自分の価値が減るわけじゃない。

今日もどこかで、誰かが僕の暮らしを見て「いいな」と思ってるかもしれない。
だったら、こっちも堂々としていればいいじゃないか。

比較するなら「昨日の自分」と。
そして、ほんの少しだけ前に進めたら、それで勝ち。

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