【暮らし】趣味は、僕の自由だった──子どもが生まれて揺らいだ、バイクとの距離感

モノ

バイクにまたがったあの日のこと。

風を切って走る感覚。全身に響くエンジン音。ヘルメットの中で、自分だけの世界に浸る時間。

10代のころから、僕にとってバイクは“逃げ場”であり、“解放”であり、“自分”そのものだった。

社会に出て、IT系大企業の激務とパワハラで心が擦り切れていたときも、このバイクだけは、僕を僕でいさせてくれた。週末の早朝、誰にも邪魔されない時間、ただひたすらに走り続ける。それは、まるで自分の中にある澱(おり)を、風で吹き飛ばす作業のようだった。

ストレスがたまった時も、人生の岐路で考えごとをしたい時も、何も考えたくない時も。バイクは、いつだって僕のそばにいてくれた。

しかし、そんな僕にとっての「自由」の象徴が、ある日、大きな問いを突きつけてきた。


1. 🍼「もう乗るの、やめたら?」──突きつけられた現実と、僕のアイデンティティの危機

育児休暇中のある夜、子どもが生まれたことで大きく変わった生活の中で、妻が何気なく言った。

「子どももいるし、もう乗るのやめたら?」

妻の言葉は、決して僕を責めるものではなかった。愛する家族を思いやる、もっともな提案だった。

事故のリスク、家計の圧迫、時間的な制約。どれもこれも、反論のしようがない現実的な理由だった。愛する家族を守る「責任」を考えれば、最も合理的な提案だった。

でも、その言葉を聞いた瞬間、僕の胸のどこかが「僕らしくなくなる気がした」と強く反発した。

責任ある親としての役割と、趣味に熱中していたかつての自分との分離。

「自由」は、「責任」と引き換えに遠ざかるものなのか?

それとも、責任の中にこそ「本質的な自由」があるのか?

バイクを手放すことは、これまでの自分、そして僕のアイデンティティそのものを手放すことなのではないか、という恐怖に襲われた。

かつて、パワハラに苦しんでいた僕が「この会社を辞めたら、僕の価値はなくなる」と思い込んでいたのと同じように、「バイクに乗るのをやめたら、僕という人間はなくなってしまうのではないか」という不安に、僕はがんじがらめになっていた。


2. ⚖️「自由」は「責任」とセットで初めて輝くものだった

頭ではわかっていた。だが、心の整理がつかなかった。

そんな中、僕は育児という日々の中で、「自由」と「責任」の関係について深く考え始めた。

育児は、自分の時間を全て子どものために使う。自分の自由な時間はほとんどない。

でも、子どもの寝顔を見たとき、初めて「パパ」と呼ばれたとき、よちよち歩きで僕に駆け寄ってきたとき、僕の心は、かつてバイクで風を切って走っていた時とは違う、**もっと深く、温かい「自由」**を感じていた。

それは、「守るべきものができた」という責任の中にこそ生まれる、新しい「自由」だったのかもしれない。

僕の人生は、自分一人のものではなくなった。その現実を受け入れたとき、バイクに乗って得られる「自由」の意味も、大きく変わっていった。

かつての僕は、バイクに乗ることで「誰にも縛られない自分」になろうとしていた。それは、仕事や人間関係からの「逃避」に近い自由だった。

しかし今は、バイクに乗ることで「大切な人たちを大切にできる自分」になろうとしている。それは、自分自身を整え、心の余裕を取り戻すための「呼吸」のような時間だ。

この心の変化は、まるで人生の羅針盤が、北極星から、目の前にいる家族という名の新しい星を指し示したような感覚だった。

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3. 🔄 バイクを手放すのか、僕を手放すのか──「趣味」という名の避難所

僕はまだ、バイクを手放していない。

でも、以前のようには乗っていない。

代わりに、車体を丁寧に磨いたり、エンジンの状態を確認したり、触れる時間が増えた。子どもが寝ている間にガレージでバイクを眺める時間。それは、仕事に追われていた頃には考えられなかった、静かで、豊かな時間だった。

以前の“走る”バイクとは違う、“生き方の象徴”になっているのかもしれない。

そして、子どもが生まれ、夫婦関係が変わり、生活が変わった中でも、趣味は人生の“避難所”だった。

かつて、心の病に苦しんだとき、僕は趣味という名の避難所を持っていなかった。だから、現実から逃れる場所がなく、心身を壊してしまった。

しかし今、育児に追われる日々の中で、趣味は僕にとっての「呼吸」であり、「避難所」であり続けている。

そして僕は気づいた。

僕にとって、趣味とは“自由そのもの”ではなく、「自分を見失わないための資産」だったと。

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4. 🎯 趣味は、人生の「羅針盤」だった

趣味は、忙しい日々に追われ、自分を見失いそうになったとき、**「僕は、これが好きなんだ」「これが、僕という人間なんだ」**と思い出させてくれる、大切な「羅針盤」だった。

お金や地位、名声といった世間的な価値観に流されそうになったとき、この羅針盤が、僕を本来の場所へと引き戻してくれる。

「バイクという趣味」という名の資産があったからこそ、僕は激務で心を病んだときも、育児で自分の時間がなくなったときも、なんとか自分を見失わずにいられたのだ。

それは、まるで人生という名の航海で、目的地を見失いそうになったとき、羅針盤が正しい方向を指し示してくれるような感覚だった。


5. 👣 これからの僕と、バイクと、家族と

僕はたぶん、これからもバイクに乗る。

でも、それは「自由になりたいから」ではなく、

「大切な人たちとちゃんと向き合うため」に、自分自身を整える時間として。

趣味の意味が、変わった。

かつての僕は、バイクに乗ることで「誰にも縛られない自分」になろうとしていた。それは、仕事や人間関係からの「逃避」に近い自由だった。

でも今は、バイクに乗ることで「大切な人たちを大切にできる自分」になろうとしている。それは、僕の人生にとっての、大きな成長だ。

だから、僕は今の方がずっと深く、バイクを愛せている気がする。

そして、いつか息子が大きくなったとき、このバイクという羅針盤が、彼の人生においても大切な意味を持つことを願っている。

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