「なんでこんなにモヤモヤするんだろう…」。そう感じるときは、決まって心に“余白”が生まれているときです。休日の午後、通勤電車の中、そして深夜のベッドの中——。頭の中にスペースができると、日頃押し込めていた悩みや不安が、まるで洪水のようにスルッと入り込んできます。
最近、私自身が実践している「窓際FIRE」的な、ゆるやかな働き方を選んでみて、ふと気づきました。悩むというのは、ある意味で「余裕」なのかもしれない、と。しかし、何も行動せず、ただ悩み続けている状態が、最も精神的にしんどいのも事実です。
この記事では、私がこれまでの人生でどのように「悩み」と向き合い、いかに「行動」を通じて不安を乗り越えてきたかを掘り下げていきます。そして、悩みをポジティブな変化のきっかけに変えるための具体的な方法を提案します。
昔の自分には、“悩んでるヒマ”すらなかった:生存本能が導いた行動
私の人生は、常に順風満帆だったわけではありません。特に、高校を中退した時期は、文字通り「生存」のための日々でした。あの頃の私には、「将来どうしよう」と漠然とした悩みに耽るような“余白”は一切ありませんでした。それよりも、「そもそも自分は社会で生きていけるのか」「このままでは本当に取り返しがつかないのではないか」という根源的な危機感に追われていたのです。
だからこそ、私はとにかく手を動かし続けました。高卒認定試験(高認)のテキストを必死に開き、大学受験の情報を片っ端から調べ上げ、未来を切り開くための具体的な行動を重ねました。「迷っている場合じゃない」という切迫感が、私を突き動かす原動力となっていたのです。
もちろん、悩みが全くなかったわけではありません。不安や恐れは常に心の中にありました。しかし、その悩みが「立ち止まる理由」になることは決してありませんでした。むしろ、悩みを抱えながらも行動し続けることで、精神的な不安定さに飲み込まれることなく、着実に前へ進むことができたのだと感じています。この時期に培われた「行動が不安を打ち消す」という感覚は、その後の私の人生において非常に重要な教訓となりました。
社会人になってからも、悩む余白がない時期があった:サバイバル期を支えたのは「脱却」への行動
社会人になってからも、私は再び「悩む余白がない」時期を経験しました。理不尽な上司からのパワハラ、連日続く終わりの見えない残業、そして過労からくる「適応障害」――。心も体もボロボロになりながらも、私を支えていたのは「この状況から何としても脱却しなければ」という強い思いでした。
まさに、毎日が“サバイバル”でした。疲弊しきった体で、終業後や休日に転職活動の準備を進めました。履歴書を書き、職務経歴書をブラッシュアップし、面接の練習を繰り返す。思考するよりも先に、具体的な行動が求められる切羽詰まった状況でした。
あのときも、立ち止まって迷っている余裕など微塵もありませんでした。不思議なもので、行動しているからこそ、悩みに深く飲み込まれることなく、次へと進むエネルギーを保てた気がします。行動自体が、不安を打ち消すための薬のような役割を果たしていたのです。
この経験は、私が以前から提唱している「窓際FIRE」という生き方にも通じる考え方です。経済的な基盤を確立し、会社という組織への依存度を下げることで、万が一の時にも「サバイバル」に陥ることなく、冷静に「選ぶ」ための余白を作り出すことができるのです。
参考記事:会社という「籠」から飛び出す自由:なぜ私たちは会社に依存してはいけないのか
今は“選べる悩み”のフェーズにいる:心の余白がもたらした「豊かな葛藤」
転職を経て、私の生活には少しずつ余裕が生まれました。給料も落ち着き、日々の暮らしにも安定感が戻ってきたのです。経済的な基盤を固め、心にゆとりができたことで、ようやく「この先どう生きたいか」という、より本質的な問いと向き合う時間が持てるようになりました。
そうなると、不思議なことに――悩みが増えました。
- 本当にこの仕事をこのまま続けたいのか? 窓際FIREというスタイルは自分に合っているのか?
- 妻との関係や、将来の子供のこと、家族との時間の使い方をどう最適化していくか?
- 40代をどのように使い、残りの人生で何を成し遂げたいのか?
- 資産形成のペースをどう維持し、いつまでに目標を達成するか?
これらは、以前の私には考えられなかった、いわば**“選べる悩み”**です。生活が安定し、選択肢が増えたからこそ生まれる、贅沢な悩みだと言えるかもしれません。ある意味では、人生が豊かになった証拠でもあります。
しかし、正直なところ、何も動かずにこれらの悩みについて延々と考えているだけの状態が、最も精神的にしんどいと感じます。頭の中で思考のループに陥り、堂々巡りを繰り返す時間は、建設的とは言えません。

悩むのは、行動していないから。たぶん、そういうことなんだと思う:思考のループを断ち切る「小さな行動」
私の経験から言えるのは、悩みというものは、手が止まって“思考の余白”が生まれたときに、まるで雑草のように大きく育つということです。特に、抽象的で漠然とした悩みほど、行動が伴わないと肥大化しがちです。
だから最近、私はモヤモヤしてきたら、「とりあえず何かする」ように意識しています。行動の内容は何でも構いません。重要なのは、“思考のループ”から意図的に抜け出すことです。
具体的な「小さな行動」の例:
- 散歩する: 外に出て体を動かすことで、気分転換になり、頭がクリアになります。景色が変わることで、思考も新たな方向に向かいやすくなります。
- 机の上を片づける: 物理的な環境を整えることで、心の整理にも繋がります。「カオスな場所を整える」という行為そのものが、小さな達成感を生み出します。
- バイクで近所の道の駅に行く: 目的を持って外出することで、非日常感を味わい、気分がリフレッシュされます。
- 靴を磨く: 集中して一つの作業に取り組むことで、雑念が消え、心の平静を取り戻せます。同時に、道具を大切にする気持ちや、身の回りを整える習慣にも繋がります。
- ブログ記事のアイデアを書き出す: 悩んでいることをテーマに、頭の中にあるキーワードをとりあえず書き出してみる。言語化することで、悩みの輪郭がはっきりし、解決策が見えやすくなります。
参考記事:書くことで自分を理解する:モヤモヤ解消と行動力アップのための「内省ノート」習慣
これらの行動は、どれも「悩み」を直接的に解決するものではないかもしれません。しかし、「行動している自分」という状態を作り出すことで、ネガティブな思考の連鎖を断ち切り、前向きなエネルギーを取り戻すことができます。動けば、見える景色が少しだけ変わる。そして、悩みのサイズも、少しだけ小さく感じられるはずです。
おわりに:悩んでるときは、動けるチャンスがあるとき
本当に追い詰められ、ギリギリの状況にあるとき、人間は悩むよりも、生き残るために必死に動きます。あれこれ考える余裕はなく、目の前の課題を解決するために本能的に行動します。
逆に言えば、悩めるというのは、“選べる”ときであり、“動ける”チャンスがあるときでもあります。もしあなたが今、漠然とした悩みに捕らわれているのだとしたら、それは「行動を起こすためのエネルギーがまだ残っている」というサインかもしれません。
だからこそ、「悩むだけの自分」で終わらず、小さくてもいいから“行動する自分”に移行することを強くお勧めします。一歩踏み出せば、必ず何か新しい発見があります。動けば、景色はちょっと変わる。そして、どんなに大きな悩みでも、行動によってそのサイズを少しずつ小さくしていくことができるのです。
不安やモヤモヤは、あなたを立ち止まらせるものではありません。それは、あなたが次の一歩を踏み出すための、隠れたエネルギー源なのです。

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