「なんでこんなにモヤモヤするんだろう…」
そう感じるときって、決まって“余白”があるときだ。
休日の午後、通勤電車、深夜のベッドの中。
頭の中にスペースができると、悩みがスルッと入り込んでくる。
最近は「窓際FIRE」的なゆるめの働き方で、ふと気づいた。
悩むというのは、ある意味“余裕”なのかもしれない。
昔の自分には、“悩んでるヒマ”すらなかった
僕は高校を中退している。
あのときは「将来どうしよう」どころか、
「そもそも自分は大丈夫なのか」 という危機感に追われていた。
だから、とにかく手を動かした。
高認のテキストを開き、大学受験の情報を調べ、
「迷ってる場合じゃない」モードで動き続けていた。
悩まなかったわけじゃない。
ただ、悩みが“止まる理由”にならなかった。
社会人になってからも、悩む余白がない時期があった
理不尽な上司、続く残業、そして適応障害。
体調を崩しながらも、「ここを脱け出さなきゃ」という想いだけで転職活動を始めた。
あのときも、迷っている余裕はなかった。
毎日が“サバイバル”だったから。
逆に、行動してるからこそ、悩みに飲み込まれなかった気がする。

今は“選べる悩み”のフェーズにいる
転職して、少し余裕ができた。
給料も暮らしも落ち着いてきて、
ようやく「この先どう生きたいか」を考える時間が持てるようになった。
そうなったら、不思議なことに――
悩みが増えた。
- 本当にこの仕事を続けたいのか
- 妻との関係や子供のことなど
- 40代をどう使うか
これはこれで、幸せな悩みなんだと思う。
でも正直、何も動かずに悩んでるときが一番しんどい。
悩むのは、行動していないから。たぶん、そういうことなんだと思う
悩みって、手が止まってるときに大きくなる。
だから最近は、モヤモヤしてきたら 「とりあえず何かする」 ようにしている。
- 散歩する
- 机の上を片づける
- バイクで近所の道の駅に行く
- 靴を磨く
行動の内容は何でもいい。
大事なのは、“思考のループ”から抜け出すこと。
おわりに:悩んでるときは、動けるチャンスがあるとき
本当に追い詰められているときは、悩むよりも動く。
あれこれ考えるより、目の前のことをやる。
逆に、悩めるときって“選べるとき”でもある。
だからこそ、「悩むだけの自分」で終わらず、
小さくてもいいから “行動する自分”に移行する 。
動けば、景色はちょっと変わる。
そして、悩みのサイズも、ちょっとだけ小さくなる。

コメント