社会人になってからというもの、平日は怒涛の毎日。心身を削るストレスの荒波に揉まれた僕が、休日に何をしていたかといえば、実にシンプル。
ネット・ゲーム・睡眠。以上!
もはや引きこもり界の三種の神器。朝起きてスマホ、昼にゲーム、夕方に昼寝、夜は深夜アニメ。これを5年ほど続けていた。
回復とは、HPを0から50に戻すことだった
あの頃の休日は、冒険に出るのではなく、回復のためのポーションタイムだった。ドラクエで言えば宿屋に泊まってる状態。いや、ひょっとしたら教会で復活させてもらってたレベルかもしれない。
でも、5年目くらいから何かが変わった。
資格で自分を守るシールドを装着
前回の記事でも書いたように、資格取得戦略を通じて少しずつ職場での「居場所」を得ることができた。
これが地味に大きい。平日がちょっとだけラクになっただけで、土日のクオリティが大幅アップ。ようやく「回復」だけじゃなく「探索」ができるようになったのだ。


思い出された、大学時代の「遊びの記憶」
ふと、大学時代の夏の記憶が蘇った。
そういえば、あの頃の僕はバイクで日本中を旅してたじゃないか!
テントを積んで、日本全国、北は宗谷岬、南は屋久島まで、ソロで駆け抜けたあの夏。あの風。あの虫アタック(ヘルメットの中に謎の虫が入ってきた時のパニックは語り草)。
当時は、朝日とともにテントをたたみ、知らない土地を走り、海辺のラーメン屋に立ち寄って地元の人と話す――そんな日々を自然に送っていた。
運転中、僕は「無」になる
バイクの何がいいって、運転中はとにかく頭が空っぽになる。
エンジン音、風の音、鼓動だけが聞こえる中、思考がフラットになっていくあの感覚。これは瞑想?いや、もはや走る写経だ。
「これはもう一度やるしかない!」
そう決意した僕は、何を血迷ったのか、250ccのバイクをポチっていた。
気づけば納車、そして走り出す僕。休日にエンジンをかける音が、仕事のモヤモヤをかき消してくれる。
気づけば1年後、900ccにジャンプアップ
250ccバイクとの再会は予想以上に楽しく、そして物足りなかった。
「やっぱりもっと走りたい…もっと遠くへ…もっと…デカいバイク…」
そんな欲望に抗えず、1年後には900ccの大型バイクを手にしていた。まるでダーマ神殿で賢者に転職するような勢いだった。
高速道路を風のように走るたび、社会人として疲弊した僕の心がどこかで満たされていく。バイクを降りた夜は、体が程よく疲れ、自然と深く眠れる。これは立派な“リフレッシュ戦略”じゃないか!

「ぐっすり寝るためにバイクに乗る」という逆転の発想
ただダラダラ寝て休日を終えるのもいいけれど、
ツーリングで走り切ってから寝ると、幸福感が段違い。
“遊んで疲れて寝る”という最高の流れが、僕にとってのリセット法になっていた。
もちろん、すべての人にバイクを勧めたいわけではない。
ただ、「昔やってた楽しいこと」を、少しだけ掘り起こしてみると、今の自分を楽にしてくれるヒントがあるかもしれない。
次回は、**「自分の人生に意味を持たせること」**について書こうと思います。
「ただ生きる」から「何のために生きるのか」に少しだけ踏み込んだ、僕なりの哲学の話です。

コメント