「人生、やり直したい」
そんな言葉を、僕も何度かつぶやいたことがある。
でも最近は、そう思わなくなった。
なぜなら、「やり直す」んじゃなくて
「整えていく」 ほうが、よっぽど現実的で、手応えがあるから。
高校中退は、恥ではなかった
15歳の僕は、「ここじゃない」と思って高校を辞めた。
周囲の目を気にしていなかったわけじゃないけれど、
どうしても“この先3年をここで過ごす意味”を感じられなかった。
当時は逃げだったかもしれない。
でも、それがあったから今の僕がある。
あの時間がなければ、
大学受験に向けてギアを入れることもなかった。
「どう生きたいか」を真剣に考えたのは、
高校に通っていた日々より、むしろ中退後の毎日だった。
ブラック職場は、“スキル”の原点だった
就職した会社は、今思えばブラックそのものだった。
- 朝は8時前に出社
- 夜は終電近く
- 週末も、仕事のことが頭から離れない
- 上司はパワハラのテンプレみたいな人
でも、そこで“資格”に出会った。
自分を守る手段として始めた勉強が、
いつのまにか“自信”になっていた。
CCNP、LPIC、AWS、CISA、PMP…
気づけば資格マニアみたいになっていたけど、
それぞれが“ブラックを抜け出すツール”になってくれた。
会社を辞める前に、
辞めても通用する自分を、そこで整えていたんだと思う。
「なかったことにしたい」は、できない
SNSを見ていると、
「過去を断捨離しました!」みたいな投稿に出会う。
確かに、過去を手放すことで身軽になることもある。
でも、僕はどれも捨てずに“積んできた”感覚がある。
- 中退も
- ブラックも
- 失敗も
- 消えたい夜も
どれも、“なかったこと”にはしていない。
むしろ、あったから今がある。
そう思えるように、少しずつ整えてきた。

「整える」ってどういうこと?
僕にとって“整える”とは、
過去の出来事を「意味あるもの」にしていく作業だ。
- 資格を取る
- 経験を言語化する
- ブログに書く
- 誰かに話せるようにする
- 自分で受け入れる
そうして初めて、過去が“今の自分の一部”になる。
自己啓発みたいなことを言うつもりはないけど、
「整えていくうちに、肯定できるようになった」って感じが、近いかもしれない。
ゼロからじゃなく、“今あるもの”で勝負する
「人生やり直したい」と言う人に、僕はこう言いたい。
もったいないって。
だって、すでに経験がある。
苦しんだ時間も、悩んだ日々も、
それは他人から見たら“価値のある素材”だったりする。
僕はゼロから始めるんじゃなくて、
ボロボロの状態から磨いていくほうが、むしろ好きだ。
- どうせ誰も最初から完璧じゃないし
- スタートダッシュが速いだけの人は、バテやすい
おわりに:人生は“編集”できる
僕の人生は、特別キラキラしていない。
むしろ、“つぎはぎ”でできている。
でも、それがいいと思っている。
- 一気に変わらなくてもいい
- じわじわ整っていけばいい
- 過去は削除できないけど、編集することはできる
今の僕がいるのは、
高校を中退したあのとき、
ブラックな環境でもギアを入れたあのとき、
そして、自分を否定せず、整えてきた時間のおかげだ。
人生は、“やり直す”ものじゃなく、
“積み重ねる”ものなんだと思ってる。

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