ボーナス。
年に二度だけ、給料明細に “現実以上の桁数” が並ぶ夢のような瞬間。
世間は浮かれる。SNSはキラつく。財布のヒモは緩みがち。
でも、僕はそっと証券口座を開く。
SP500とオルカン(全世界株式インデックス)のチャートに、静かに祈りを捧げる。
ボーナス時期は、欲望のフェスティバル
この時期になると、広告が騒がしい。
「ボーナスで一眼レフを!」
「年に一度の大型セール、今しかない!」
「ボーナス払い対応!分割もOK!」
いやいや、ちょっと落ち着いてくれ。
たしかに一眼レフは魅力的だ。
でも冷静になって考えると、スマホのカメラで撮った写真すら見返していないのに、
果たして僕はRAW現像するのだろうか?
「欲しいもの」と「必要なもの」の区別がすべて
僕がボーナスで買い物をするとき、必ず自分に問うようにしている。
「これは、欲しいのか? それとも、必要なのか?」
過去に“欲しいだけ”で買ってしまったモノたちは、今どこにいるのか。
- 首から下げるスマホケース(1週間で邪魔になった)
- 空気清浄機付き加湿器付きBluetoothスピーカー(機能は多いが音は微妙)
- 高性能マウス(結局トラックパッド派だった)
これらはすべて、「買った瞬間がピーク」だった。
逆に、必要なものは長く使えている。
靴。椅子。モニター。iPad。HHKB。
必要なものは、生活に静かに定着していく。
1万円が2万円になると考えると、財布が閉じる
僕は投資を「未来の自分へのプレゼント」だと思っている。
たとえば、1万円。
これを今すぐ使えば、焼肉3回分。うまい。幸せ。タン塩正義。
でもSP500に入れておけば、20年後にはおそらく2万円くらいにはなってる(※年率7%換算)。
しかも、焼肉3回分じゃなくて未来の焼肉6回分になる可能性すらある。
そう考えると、「焼肉を今食うか、将来もっといい肉を食うか」という哲学的な問いになる。
もちろん、今を楽しむのも大事だ。
でも、何も考えずにボーナスを全消費してた過去の自分には、そっと肩を叩いて言いたい。
「それ、未来の自分が泣くやつやで」
投資か浪費か、それは“感情の残り方”でわかる
支出には、良い支出と悪い支出がある。
これを判断する基準は、「買ったあと、自分に対してどう思うか」。
- 焼肉食べたあと「うまかったけど高かったな」 → 微妙
- iPad買って毎日使ってる → 納得
- ハンガー買い替えて服が綺麗に整った → 気分がいい
つまり、支出は“感情の残りカス”で評価すべきなのだ。
そして不思議なことに、投資ってだいたい地味で目立たない。
ボーナスで高級時計買うより、インデックス投資でじわじわ増えるほうが僕は性に合ってる。
それでも「よっぽどのもの」なら、買う
ここまで節制自慢をしてきたけれど、
もちろん僕も財布を全開にする瞬間はある。
それは、「これは生活を整える」と確信したとき。
たとえば、
・在宅ワーク用の昇降デスク
・エルゴヒューマンのチェア
・Mac mini+HHKBの静音キーボード
これらはすべて「必要な投資」。
人生の大半を過ごす場所(=デスク)を整えるのに、ケチってどうする。
「買ってよかった」と思える支出には、ちゃんと価値がある。
結論:快楽より自由、浪費より整い
ボーナスは、たしかに“ご褒美”だ。
でも、その使い方で、人生のレベル設計が変わる。
- 目先の快楽を優先するか
- 未来の自由を設計するか
僕はできる限り、後者を選びたい。
もちろん、全部が全部 投資 じゃ味気ない。
コーヒー代や読書代、生活を彩る費用も「自己投資」として歓迎したい。
ただ、「欲しい」と「必要」の境界線を見極めること。
そして、「この支出は未来の自分を助けるか?」を問い続けること。
今年のボーナスも、ほとんどSP500とオルカンに吸い込まれていった。
でも僕は、その証券口座の画面を見るたびに、こう思う。
「この1万円、きっと未来で倍返ししてくれるはずだ」
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