地方に引っ越して、もうすぐ1年。
最初は「便利さが減って不便になるかも」と少し不安もあったけど、
いざ暮らしてみると、意外なほど“整った自分”に出会えた気がする。
都市部では、“がんばってる自分”が常に隣にいた
電車の中でも、通勤中も、カフェでも、
みんなスマホで情報を追って、予定を詰めて、どこか急いでいる。
僕自身もその中にいて、いつも“何かやってないといけない”感じがあった。
- 成果を出す
- 新しいことを始める
- 効率的に時間を使う
どれも悪くはないけど、少しだけ息が浅かったと思う。

地方暮らしの幸福と若者
若者研究の「サイレント・マジョリティ」に光を当てる。豊富な社会調査データから、地方暮らしの幸福に注目が集まる時代を検証する。本書は、日本の若者研究の文脈と、「地方暮らしの幸福」に関する議論の文脈とをかけ合わせた問題意識から出発し、地方暮らし...
地方に来て、“暮らしの手触り”が戻ってきた
通勤はバイク。
田んぼの横を走って、風を感じながら仕事に向かう。
帰り道にふらっと寄ったコンビニで、何も買わずに出てきたことがある。
「今、別に欲しいもんないな」って自然に思えたのだ。
- 疲れたらカフェで休憩
- ついでに買い食い
- 思いつきで寄り道
そういう“都市の習慣”がスッと抜けていった。
結果的に、それが節約にもなってるし、
“買わない自分”にちょっと誇らしさもある。
便利さより、“呼吸できる暮らし”が大事だった
もちろん、不便なこともある。
- お店が早く閉まる
- 車がないと動けない
- 新しいスポットがすぐにはできない
でも、それ以上に精神的な快適さが大きい。
「あれを買わなきゃ」「あそこに行かなきゃ」
そういう“情報の密度”から距離を取れたことで、自分のペースが取り戻せた。
静かな場所で、静かな自分に気づいた
いつの間にか、
「がんばらなきゃ」の代わりに「まあ、今日はこれでよし」と言えるようになった。
都会では、つい“人の速度”に巻き込まれていた。
でも地方では、“自分の速度”で暮らせる感覚がある。
静かになったのは、たぶん場所だけじゃない。自分の中も、静かになってきたのだ。
おわりに:地方暮らしは、“暮らしの選択肢”を増やしてくれた
誰かに勧めたいわけじゃない。
でも確かに、僕にとっては“整える暮らし”へのヒントが詰まっていた。
- 何を持たないか
- どこで抜くか
- どう自分のペースに戻るか
地方に来て、それを少しずつ身につけているところです。

地方暮らしの幸福と若者
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