昔の僕にとって「がんばる」は、歯を食いしばる行為だった。
残業も休日出勤も、「やります!」と食い気味で言ってたあの頃。
「成長=苦しいこと」だと思っていた。
でも最近、ふと気づいたんです。
「この“がんばる”、ずっと続けられなくない?」
そしてそっと、「がんばる」の定義を、自分仕様に書き換えた。
昔の「がんばる」は、“無理して突っ走ること”だった
学生時代も、社会人になってからも、
「努力は裏切らない」って言葉を信じて、全力投球してきた。
- 無理なスケジュールを笑顔で引き受ける
- 仕事が終わらず、深夜のオフィスで一人反省会
- 休日も資格の勉強、詰めすぎて何を覚えたか忘れる
今思えば、「がんばってる自分」に酔ってた節もある。
疲れてるのに頑張ってる → 誰かに認められたい → でも誰も見てない → しんどい
というループ芸。

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そして、燃え尽きる。あっさりと。
理不尽な上司と、終わらない業務と、やりがい迷子の日々。
ある日プツンと糸が切れて、メンタルがエンストを起こした。
あのときは「もう努力なんてしたくない」と思った。
でもそれから時間が経って、別の形で“がんばる”ことができるようになった。
今の「がんばる」は、“整えて続ける工夫”
今の僕にとっての努力は、こうだ。
- 散歩で脳をほぐす
- ボイスメモでアイデアをすぐ捕まえる
- noteで言語化して、モヤモヤを棚卸しする
これ、**一見ゆるいけど、けっこう“がんばってる”**と思ってる。
ポイントは「がんばってる感」がないこと。
“自分に無理なく続けられる努力”が、いちばん強いのでは?
努力=誰かに証明するもの、ではなくなった
以前は「認められたい」「成果を見せたい」という気持ちが原動力だった。
でも今は、「自分が納得してるか」が基準になってる。
- 今日はnoteを1本書けた → よし
- 散歩中にいいこと思いついた → それで十分
- ちょっとだけ資格のテキスト読んだ → 花マル
人に拍手されなくても、静かに自分に拍手できればOK。
おわりに:「無理なく続く」がいちばん強い説
「がんばれない自分」に落ち込んだ時期もあった。
でも、それって“間違ったがんばり方”をしてただけかもしれない。
がんばる=歯を食いしばる
じゃなくて
がんばる=ゆるくでも、止まらずに前に進む工夫
そんなふうに定義し直してから、気持ちもずいぶん軽くなった。
今日も散歩して、noteを書けたら、それが“今の自分なりの努力”。
それでいい。いや、むしろそれがいい。

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