38歳。地方の大企業でクラウドエンジニアとして働く僕は、ある決断をした。
それは「育児休暇を取得する」こと。
周囲に育休をとる男性社員はほぼ皆無。それでも、僕は自分と家族のために「立ち止まる」ことを選んだ。
かつて、激務とパワハラに追われ、心身を壊した僕にとって、一度立ち止まることは、まるで人生のレールから外れるような、大きな恐怖だった。一度立ち止まってしまえば、もう二度と元のレールに戻れないのではないか、そんな根拠のない不安に、僕は日々苛まれていた。
でも、育休中の静かな時間の中で、僕は改めて気づく。怖かったのは、「やめること」そのものじゃなく、「やめることで変わってしまう自分」だったと。
今回は、そんな僕が、育休という名の“やめる勇気”を持ったことで、何を得て、そして何が変わったのかについて、正直に、そして赤裸々にお話ししたいと思う。
1. 怖かったのは、“やめる”ことじゃなく、“変わる”ことだった
キャリアを一時的に止める。
それは、仕事の最前線から自分がフェードアウトしていくような感覚だった。まるで、高速道路を走る車列から、自分だけが路肩に停車するような。
周りの同僚は、まるで何もなかったかのように走り続け、どんどんスキルアップし、昇進していく。そんな中、自分だけが立ち止まっていていいのだろうか──。
育休に入る前、僕の心はそんな焦りと恐怖でいっぱいだった。
しかし、実際に育休に入ってみて気づいた。
怖かったのは「やめる」ことではなく、「やめることで変わってしまう自分」だった。
「仕事人間だった自分が、家庭のことに追われる自分に変わってしまうのではないか?」 「スキルや知識が錆びついて、元の職場に戻れなくなってしまうのではないか?」 「『あいつは育休をとったから、もう前のような活躍はできない』と、周りからレッテルを貼られてしまうのではないか?」
でも、そんな「やめた自分」と向き合う時間が、何より大切だった。
それは、僕がこれまで社会のレールの上をひたすら走り続ける中で、置き去りにしてきた「本当の自分」と対話する時間だったのだ。
2. 手に入れたのは、時間と視点、そして“問い”
育休中は、息子の寝かしつけ、離乳食の準備、散歩、オムツ替え…。
ひとつひとつの作業は地味で、終わりがない。
でも、そんな日常の中に、仕事では得られなかった「時間の流れ」があった。
それは、効率や成果では測れない、感情と繋がった“人としての時間”。
そして、そんな穏やかな時間の中に、僕の心に浮かんできた問いがあった。
「そもそも何のために働いてるんだっけ?」 「キャリアって、収入って、家族って、どんな風にバランスをとればいいんだろう?」 「かつて、仕事に忙殺されていた自分は、本当に幸せだったのか?」
これらの問いに、育児という名の修行が、答えのヒントをくれた。
キャリアとは、会社という名の組織の中でだけ築かれるものではない。
家族との時間も、自分の内面と向き合う時間も、全てが僕の「人生」という名のキャリアを形成する大切な要素だと、僕は気づいたのだ。

3. “進む”だけが成長じゃない。「立ち止まる」ことにも意味があった
社会は常に前進を求める。
昇進、スキルアップ、転職──それも悪くない。それは、社会人として当然の成長の形だ。
でも、「立ち止まる」ことにも、同じくらい、いや、それ以上に意味があると、僕はこの育休で知った。
それは、焦らずに、自分の呼吸のリズムで生きること。
それは、これまで忙しさの中で置き去りにしてきた感情を、ようやく取り戻す作業だった。
そして、一度立ち止まったからこそ、自分の「適正なサイズ」が見えてきた。
かつての僕は、会社という大きな組織の歯車として、自分のサイズよりもはるかに大きな役割を無理して背負い込もうとしていた。
その結果、心身を壊してしまった。
しかし今ならわかる。
人間関係に神経をすり減らさず、家族の時間を大切にしながら、やりがいも少しだけ感じられるような仕事。
そんな働き方こそが、僕自身の「適正なサイズ」なのだと。
4. “やめる勇気”は、人生を微調整するチャンスだった
育休を経て、僕はまだ復職もしていないし、キャリアの未来もわからない。
それでも、“やめる勇気”を持ったことで、僕の人生はたしかにしなやかになった。
「やめる=逃げ」じゃない。
「やめる=調整」だ。
まるで、航海中の船が、嵐を避けて一度停泊し、羅針盤を改めて見つめ直すように。
そんな風に思えるようになった自分を、僕はちょっとだけ誇らしく思っている。
そして、この「調整」という知恵は、きっと今後の僕の人生を、より豊かで穏やかなものにしてくれるだろう。


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