会社員人生の中で、何度となく「この仕事、もうやめようかな」と思ったことがある。たぶん、これは僕だけじゃないはずだ。
でも最近、育児休暇中の静かな時間の中で、ふと考える。「“やめたい仕事”って、そもそもどんな仕事だったんだろう?」と。
そして同時に、「今の自分にとって、“やめたくない仕事”って、何なんだろう?」と。
かつては、ただひたすら目の前の仕事をこなすことに精一杯で、こんな風に立ち止まって考える余裕なんてなかった。しかし、一度心身を壊して、人生の立ち位置をリセットした今だからこそ、その違いがはっきりと見えてきた。
今回は、僕自身のキャリアを振り返りながら、「やめたい仕事」と「やめたくない仕事」の本質的な違いについて、深く掘り下げてみたいと思う。


1. 「辞めたい」という名のSOS。かつての僕は、四方を壁に囲まれていた
かつての僕は、IT系の大企業で、まるで四方を壁に囲まれた牢獄にいるかのようだった。激務とパワハラという名の看守に監視され、業務量の多さに加え、「ここでしか生きていけない」という思い込みが、僕の心の壁をどんどん厚くしていった。
心のどこかで「辞めたい」と思いながらも、資格もスキルも十分とは言えず、転職市場での自分の価値にも自信がなかった。
まるで、出口の見えない迷路に迷い込んだように、僕は「辞めたいのに辞められない=逃げ場がない」状態に陥っていたのだ。
これは、単に仕事がつらいという話ではない。
僕たちが心から「辞めたい」と思う仕事には、「逃げ場」がない。そして、その「逃げ場」を塞いでいるのは、他でもない、自分自身の「思い込み」だった。
「転職は難しい」「自分には無理だ」「今の会社を辞めたら、もう次はない」
そういった思い込みが、僕をがんじがらめにしていたのだ。
2. 魔法の呪文「辞められる」が、仕事をラクにする
しかし、僕は「牢獄」から脱出するための魔法の呪文を手に入れた。
それは、資格という名のスキルアップと、資産形成という名の「心の安心」だ。
資格を取得して市場価値を高め、少しずつ資産形成も進めた結果、ようやく「辞めても生きていけるかも」と思えるようになった。
この“選択肢”があるだけで、仕事のストレスの重みがまるで違ってくる。
たとえば、理不尽な要求をされたときでも、「これ、受ける必要あります?」と一歩引いて考えられるようになる。
あるいは、上司からパワハラを受けたとしても、「別に明日から来なくてもいいんだよな」という心の余裕が、僕を救ってくれた。
皮肉な話だが、**「いつでも辞められるようになったとき、仕事がラクになる」**というのは、僕の実体験として強く感じている。
「辞めること」は、決してネガティブな選択肢ではない。それは、自分の人生を自分でコントロールするための、最強の武器なのだ。
3. 「納得できる仕事」こそが、やめたくない仕事だ
では、今の僕は「やめたくない仕事」をどう見出しているのだろうか?
いま僕が従事しているのは、地方メーカーの社内SE的ポジション。かつてのような高い年収があるわけでもないし、華々しいキャリアでもない。
でも、この仕事には「自分のスキルが役立っている実感」や「家庭と両立できる余白」がある。
そして、何より「無理せず続けられる」という感覚がある。
この感覚は、いわゆる「やりがい」や「自己実現」とは少し違う。
もっと地味で、堅実な感覚だ。
僕は、これを「納得感」と呼んでいる。
「この会社で、この仕事をしている自分」に対して、胸を張れる。見栄や虚勢を張る必要がない。自分の人生と、仕事の間に矛盾がない。
この「納得感」こそが、僕にとっての「やめたくない仕事」の正体だった。


4. 資格は“やめられる自信”をくれた、そして心の盾になった
僕がCISSPやAWS、ネスペといった資格を10個以上も取得したのは、単なるスキルアップのためだけではない。
それは、自分の市場価値を「見える化」し、いざというときに動ける「心の安心感」を得るためでもあった。
資格という名の「盾」を持っていれば、どんな理不尽な攻撃を受けても、「いつでもこの盾を捨てて、別の戦場へ行ける」と思える。
それは、精神的な自由に直結する。
そして、この「精神的な自由」こそが、僕の「窓際FIRE」という生き方を支える、核になっている。
最後に:「やめられる仕事」かどうかは、自分次第
僕たちが働く理由は、人それぞれ。
でも、「やめたくても辞められない」という状態は、誰にとってもしんどいはずだ。
だからこそ、自分のスキルや選択肢を増やし、「いつでもやめられる仕事」にしていくことが、最終的に“やめたくない仕事”を見つける近道になるのかもしれない。
育休中に立ち止まりながら、そんなことをしみじみと考えている。
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